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府職労ニュース



2014年12月16日

旧社保庁職員の分限免職撤回を
全国から支援の傍聴

12月8日に結審・来春3月に判決

 2009年末、社会保険庁廃止を口実に525人もの大量の分限免職が強行されました。国家公務員である社保庁職員には雇用保険がなく、退職金は支給されたものの日常の収入が断たれました。中には、夫婦とも分限免職されるという常識的には考えられない「処分」が強行されたのです。
 国交労連と全厚生は、39人の組合員とともに処分取り消しのため人事院に公平審理を求めてきました。人事院は、処分取り消しを求めた71人のうち、2013年末までに全厚生組合員を含む25人の解雇を取り消しました。しかし、組合員25人は、処分取り消しとならず、「処分」の不当性と人間の誇りをかけて裁判闘争に突入しました。
(写真・最終弁論の後、報告集会)

 京都では、15人が大阪地裁に提訴、12月8日に結審を迎え、来年3月25日に判決が待っています。原告の15人は、最終弁論で全員が分減免職の不当性、仕事への誇り、苦しい生活実態を裁判長に訴えました。 

▼悔しさの涙こらえ最終陳述

 全員が「社会保険業務一筋に努力し、まじめに勤務してきた」のに、なぜ「分限免職」されたのか、理由が明らかでないことを述べました。それは、当時の社会保険庁長官が「一生懸命頑張れば大丈夫」の発言を信じ、働いてきたからです。「ほんの10分程度の面接で、面接官の印象だけで解雇された」「処分回避の努力が全くされなかった」など述べているように、まるで指名解雇のような「処分」を告発。

 中には、「仕事を張り切りすぎたため、脳が働かない病気になったが、怠ける病気と決め付けられ…病気中の面接評価が分限免職に大きく影響した」人もいました。

▼人生狂わせた「不当処分」

 突然の解雇は、人生設計を狂わしました。解雇以来、再就職はままならず、たちまち生活が破壊されていきました。雇用保険がなく、収入が断たれたため、貯金を取り崩したり、アルバイトや非正規としての仕事、苦労の道を歩まされました。

 「分限免職になった時に長男は大学2年生、次男は中学2年生で高校受験を控えていた」人、「大学生の子ども2人に、高校生が1人と経済的に一番お金のかかる時期に免職され、妻の収入が頼りだったが、4割程度に収入が減った」という人、「夫婦ともども分限免職になり、一切の収入が立たれ、寒くて暗い年末年始を過ごし、主人は体調が不安定になり大変でした」という人、生活苦は筆舌につくせませんでした。

 家族からの理解が得られず、つらい思いを背負った原告の方もいます。

 「機構に準職員募集を断ったら、義母に『親不孝だ』といわれ、正規公務員が非正規職員にされることが納得いかないことを説明しても理解されなかった」「妻には毎日のようになじられ、生ゴミを頭からかけられた」など、衝撃を受けながら分限免職という「汚名」をはらすために踏ん張ってきた方もいます。

▼「政治のパワハラ」とたたかう

 公的年金業務を引き継いだ日本年金機構は、職員定数の削減と1000人もの新規採用を閣議決定で押し付けられました。年金機構発足時には324人もの正規職員が欠員でした。にもかかわらず、分限免職を強行することは、違法・不当といえます。このことを2013年11月の朝日新聞は、「政治のパワハラだった」と報じました。

 現在の年金機構は、一向に減少しない事務処理の誤り、遅延。それに対して「ミスをなくすこと」が組織の至上命題になっているという全厚生の役員さん。 ベテラン職員を大量喪失させただけでなく、大半の職員を3年から7年で雇止めし、知識経験の蓄積を考慮せず職員を使い捨てるというロスを強要、業務運営を悪化させているとも言います。

 そのうえ、この年度末には、2700人にも及ぶ職員が解雇されようとします。

 消えた年金記録は、いまだに2112万件が未解明。それでも、記録問題の特別体制は2014年3月末で終了。これでは、年金への国民の信頼は築けません。政府が言う「国民の信頼回復」を成し遂げるには、何よりも、旧社保庁職員の分限免職を取り消し、経験ある職員を正規として採用することが必要です。 来年3月に迫った大阪地裁の判決、全国のトップを切る判決です。老後が安心できる年金制度を築くためにも、旧社保庁職員の分限免職撤回、経験と専門性を生かした年金機構の構築が求められているのではないでしょうか。

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