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府職労ニュース



2013年 8月. 8日

被災地との〝絆〟大切に復興支援
府職労連第3次「明るい明日の農村隊」

 いまだ進まぬ生活再建・復興

 今年の東北は、天気がすっきりしない。曇りか雨の日が続き農作物の被害が心配。府職労連は、震災から陸前高田市の矢作地区でボランティア活動を展開してきました。今年も行きました。府職労連「明るい明日の農村隊」―背丈以上の草を刈ってきました。「明るい明日の農村隊」がみた被災地の今と、被災地の人たちの思いを伝えます。

 7月22日の夜出発。メンバーは、草刈り機を使いこなすベテランを中心に全く初体験の若者まで14人。約15時間の道のりをマイクロバスを走らせた。岩手・一関を経て宮城・気仙沼へ。去年から開店している魚市場で夕食の材料を仕入れる。大ぶりのカツオが一本1500円、カツオのたたきも仕入れた。
(写真右、気仙沼)

 買い物を済ませ、津波の被害が大きかった地区を訪れる。毎年ここを見に来るが、復興が進んでいるようには見えない。巨大な船はそのまま、沈下した家屋の跡、破壊されたビル、あちこちに残されたままだ。そんな荒野のようなところにコンビニがひときわ目立つ。

 それでも、ポツリポツリと建物が増えている。大手建設事務所のプレハブだったり、復興を請け負う企業の事務所が多い。中には、「福幸市場」とか、住民の手による仮設的店舗もちらちら見えた。
(右の写真、気仙沼)

 あいかわらずのことだが、復興のテンポの遅さに心を痛める。

▼廃墟の町をダンプがうなる

 約1時間かけて陸前高田へ。途中の集落は、依然として廃墟が目立つ。鉄路はズタズタ。がれきは、ほとんど取り払われていた。旧市街地にマイクロバスが乗り入れると、景色はガラッと変わる。気仙川に架かる仮設の橋をダンプが走り回っている。砂埃が景色をぼかす。一本松のモニュメントが目を引くが遠い。海岸線を中心に復興事業を進める巨大なクレーンが曇った空にそびえる。大規模な工事だ。よく見ると、仮設橋の横の橋を復興していた。一本松周辺には震災モニュメントの公園が建設中だった。海岸では、堤防のかさ上げが始まっていた。後で聞いたところ、堤防は2階建で、5mの堤防にさらに防潮堤として7mほど延ばすそうだ。12mの堤防を築き、7万本の高田の松の子孫を育てる計画だとか。
(写真左、山を削り宅地開発)

 旧市街地の建物は、ほとんど解体されていた。県立病院もすっかり取り壊されていた。ところどころに盛り土がしてある。がれき跡だと思ったが、商店街など街づくりのため、地盤沈下した土地を6mかさ上げするための土だという。

 山側に目を移すといたるところで山が削られている。その土を運ぶダンプがあわただしく行きかう。道路を横断するのが怖いほど。この土は、土地のかさ上げと道路の建設の使われるようだ。復興のリーディングプロジェクトとして、三陸海岸道路を「復興道路」と定め、急ピッチで工事が進められているのだ。
(写真右、陸前高田の国道)

 仮設の市役所が立っている向かい側の山が大胆に削られていた。ここに市役所や消防署、警察、公営住宅が建設されるようだ。住民アンケートで「市役所は高台がいい」との意見を尊重しているとのこと。

 仮設の市役所周辺では、スーパーや小売店の仮設がつくられたり、コンビニ、銀行、建設事務所などつくられていた。

 気になったのは、海岸線や山を削る作業のほとんどが、大手建設業者であること。地元の業者の事務所が開設されているが、大手企業の下請けなのか、目立たない。

▼〝被災地を忘れないでほしい〟

 震災直後から、ボランティアの拠点にしてきた矢作地区の鈴木旅館に到着したのは、23日の昼過ぎ。去年は、一面のひまわりが見れたが、今年は花が見えない。ひまわり畑は、圃場整備中だった。塩害に侵された土は20㎝掘り、新しい土と入れ替えられる。来年の春には、念願の田植えができる。
(左の写真は、奇跡の一本松モニュメント)

 今年の春、圃場整備された後の田んぼでは、運ばれてきた土の石ころを撤去する大規模なボランティア活動が行われたようだ。内陸部から運ばれた土には大量の石が混じっている。

 「明るい明日の農村隊」を「種っこまくべえ」の村上さんが迎えてくれた。「だんだんと震災が忘れられている。被災地を忘れずに支援してくれることこそが励みになる」とのあいさつに大いに励まされた。
(右の写真は、陸前高田の橋梁工事)

 「明るい明日の農村隊」の仕事は、草刈り。今年はひまわり畑が圃場整備されたためきわめて少ない。雨が多いため成長も芳しくない。花は全く咲いていない。それでも、土手や畔、道路わきには草が生い茂っていた。地元の人たちも敬遠するような急斜面。旅の疲れも忘れ、瞬く間に雑草を刈っていく。見る見るうちにすっきりした風景になった。翌日の昼まで草刈りは続いた。

▼来春には田植えを再開

 鈴木旅館には、「種っこまくべえ」の村上会長が訪ねてくれた。家庭料理の差し入れに一同感謝。「京都のみなさんの支援でみんな喜んでいる。田んぼは圃場整備がされ、来年には米が作れる。全国に陸前高田の元気な姿を見せたい」と語った。「一歩でも前へ進みたい」との言葉に胸が熱くなった。

 今年始めて参加した府職労連書記局の小舘君は「被災地を忘れないで」という村上さんの言葉が印象に残ったという。これを機会に「復興とは何か」を考え続けたいと感想を聞かしてくれた。先輩たちの「親切」な講習のおかげで草刈り機が少し使えるようになった。一つ体験が積まれ、次の復興支援の担い手なってくれるだろう。
(左の写真は、南三陸町防災会館)

 現地二泊のあわただしいボランティア活動だったが、「また来るよー」と心で言葉を投げかけ矢作地区を後にした。