京都府職員労働組合 -自治労連-  Home 情報ボックス 府政NOW 京の写真館 賃金 料理 大学の法人化
府職労ニュース



2012年 8月 2日

〝希望〟をわかち合いたい
ひまわり畑で草刈り広さ約10ha

府職労連東日本大震災ボランティア物語 

 明日へ進もう!With東北! 東日本大震災の経験を風化させず、風評被害で落ち込んだ地域経済に少しでも協力出来たらと、府職労連は、復興支援ツアーとボランティアツアーの2つの被災地支援行動を行いました。復興支援ツアーには15人が、ボランティツアーには、18人が参加。被災地支援に奮闘した。(写真は、陸前高田市矢作地区のひまわり)

7月20日(金)


 ボランティアツアーは、19時30分亀岡総合庁舎をスタート、京都府庁で合流した総勢18人がマイクロバスで出発。25人乗りのマイクロバスに草刈機9台、炊き出し用の材料・器具などを満載。一路東北・岩手を目指して名神・北陸・磐越・東北と4つの高速道路(1府8県)を乗り繋いで片道約1100kmの旅路がスタートた。途中、かなりきつい雨が降っていた。

7月21日(土)
到着後さっそく草刈り


 ひたすら走ること16時間、ようやく気仙沼に到着。市内の被災状況を視察。瓦礫や船、車の残骸は片づきつつあるものの、建物のあった場所はまだ土台、被災建物自体もそのまま。復興にはまだ程遠い状況に改めて被災地の置かれている現実を目の当たりに。でも、商店など再建の姿もありました。

 目的地の陸前高田市鈴木旅館に13時に到着。早速着替えて、昨年に地域住民や陸前高田市が共同で起ち上げた「たねっこまくべぇの会」が植栽したひまわり畑周辺の雑草刈りに従事。

 ヒマワリ畑は、太陽のようなヒマワリが咲き始めている。この花が、10haも咲き誇ると圧巻だろう。

 草刈は、ボランティア部隊の数日前に地元の人たちと仮設住宅の人たちが共同で、行ったとのこと。しかし、広大な畑や土手にはかなりの雑草が残されている。幸い、去年と違って気温がかなり低く、熱中症の心配はなさそうだ。それでも、寝不足の疲れが作業の進捗を妨げる。

 ぐったり疲れ、夕刻に鈴木旅館に引き上げる。温泉が快かった。

 レンタカー2台に分乗してきた復興支援ツアー組も夕方、鈴木旅館に到着して合流。

18:30 現地の人らと交流会―亡くなった人の分までがんばろうと…

 18時30分から「たねっこまくべぇの会」村上会長はじめ地元の市会議員や福井県から移住して復興支援にボランティアであたられている後藤さんを始め地元の方との交流会。

 村上会長は「支援に本当に感謝している。高田ではまで250人が行方不明。私たちは命を与えられた、亡くなった人や行方不明者の分まで頑張ろう、毎日一生懸命前向きに生きようと声を掛け合っている。今後も支援をお願いします」とあいさつ。

 また、地元市会議員からは昨夏の京都市の送り火騒動で地元は心を痛めたこと、前を向いて8月8日に地元で鎮魂の火を今年も行うことが話されました。

7月22日(日)
 6時起床。7時30分過ぎから草刈り部隊と気仙沼での炊き出し部隊に分かれて作業開始。

 炊き出し部隊は一銭洋食に使う京都特産の九条ネギを具材用の大きさに切る。とにかく500人分を目標に具材を純後しなければならないので、その量は半端ではない。ねぎのにおいとと目の痛さと闘いながらひたすらねぎをきる。

 草刈り隊はひまわり畑へと散って作業開始。午前9時に一銭洋食の炊き出しで気仙沼・階上中学校の仮設住宅へボランティアの一部が出発。


7月23日(月)
 草刈り部隊は午後から福島へ移動することもあり、午前中で作業を終えようと、休憩時間も惜しんで除草作業にあたった。当初予定のひまわり畑の周囲だけでなく用水路と鉄路に囲われた広大な区画全体約10haの除草を完了。

 途中、バスの排気管のトラブルに見舞われるなど決して順調ではない行程でしたが、地元の修理業者が「ボランティアで来て頂いているのに金は取れない」と無償修理して頂くなど、地元の人々の暖かさにも触れた。

7月24日(火)
 23日夕刻、被災地視察もしながら相馬経由で方面へ向かう。45号線を走りながら見た海岸線は、1年4か月前の状況とあまり変わっていない。がれきなどは集積されているが、海岸線や鉄道の復興は目に見えては進んでいない。海岸の田畑は海水をかぶり、耕作できる状況ではないのだろう。草が田畑を覆っている。

 南三陸町に近づく。鉄骨だけの建物、とりわけ目を引くのは、大きな犠牲を出した防災対策庁舎。数えきれない千羽鶴と遺品が置かれていた。遺品となった野球のボールには「コーチへ」の文字が見える。それが悲しみを誘う。

 福島県内に入ると、また違った現実を突きつけられた。福島第一原発事故による被害は深刻だ。伊達市と福島市の山間地を視察、放射線被曝のため、耕作を休止している田畑が目についた。24日は、そんな現実を見ながらひたすら京都へ向かってバスを走らす。