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2013年 8月30日

    〈レイシズムを追う〉/忘れがたい虐殺事件
関東大震災の悲劇

「再び」を憂う市民たち

 9月1日で関東大震災からちょうど90年を迎える。3・11以来、首都を再び大地震が襲う可能性が取り沙汰されているが、関東大震災で起きた朝鮮人虐殺事件のような悲劇が繰り返されることを憂いている人もいる。事件の真相究明と犠牲者の追悼を30年以上続ける西崎雅夫さん(53)=東京・墨田区=だ。

▼90年後も続く差別

 西崎さんがそう感じるのは、東京・新大久保をはじめとするコリアンタウンで排外デモが繰り返されているからだ。デモの参加者は「朝鮮人を殺せ!」などといったヘイトスピーチ(憎悪表現)を連呼している。
 「もし、大震災が起こって情報が混乱したら、在日外国人が再び攻撃の的にされかねません。震災時に起こったデマや虐殺事件の背景にあったのが、朝鮮人への差別意識や植民地支配を通じて収奪をしていたことへの罪悪感でした。現在の排外デモを見ていると、不安は膨らむばかりです」

▼妊婦も犠牲に 

 西崎さんが虐殺事件を知ったのは、荒川放水路の歴史を調べていた元小学校教師の故・絹田幸恵さんと学生時代に出会ったことがきっかけ。絹田さんからはこんな話を聞かされた。

 「(関東大震災の発生直後に)朝鮮人が暴動を起こすというデマが広がり、たくさんの朝鮮人が虐殺された。東京・墨田区の荒川に架かる旧四ツ木橋周辺では、荒川放水路の工事や近くの工場で働いていた多くの朝鮮人が犠牲になり、河川敷に埋められている」

 西崎さんは強い衝撃を受けた。荒川河川敷は幼いころから慣れ親しんでいた場所だったからだ。居ても立ってもいられなくなり、絹田さんの呼び掛けに応じ、1982年から真相究明と追悼活動を始めた。

 活動を進める中で、在日韓国・朝鮮人の生存者や日本人の目撃者から聞いた話は耳を覆いたくなるものばかりだった。

 「軍隊が朝鮮人を土手に並べて、機関銃で撃ち殺した」「自警団が朝鮮人を日本刀で切ったり、竹やりで突き刺したりして殺した。中には妊婦もいた」――。

 虐殺事件の犠牲者は6000人という説もあるが、西崎さんの研究によれば、それは一部の学者が推定しているだけであり、本当の人数は見当さえ付かないという。

▼追悼碑を建立

 「こうした悲劇を二度と繰り返してはいけない。風化させずに後世まで伝えていこう」。そう決心した西崎さんは4年前、旧四ツ木橋から程近い墨田区八広に有志とともに土地を購入し、約700万円の寄付金を集めて追悼碑を建立した。
 碑ができたことで初めて虐殺事件を知ったという若者や、祖父が語った虐殺の体験談を教えてくれる人などが、次々と西崎さんの元を訪れている。

▼悲劇伝えなくては

 西崎さんが今年6月、活動の一環として韓国を訪れた際、そこで虐殺事件の根深さを再認識させられる出来事があった。60代の韓国人男性からもたらされた「祖父を探してほしい」という依頼だった。

 男性の祖父は当時、東京に留学していたが、関東大震災の際に行方不明になってしまった。虐殺された可能性が高いという。祖母は「何とかしておじいさんの骨を探し出して、自分の骨と一緒に埋葬してほしい」と遺言して亡くなったが、男性は祖母の思いを今もかなえられないでいる。

 「加害者である日本人は虐殺の事実を忘れ去ってしまったが、被害を受けた韓国・朝鮮人の遺族たちの悲しみはいまだに続いていることを実感させられました。両民族の真の友好をつくり出していくためにも、これからも活動を続け、多くの人に虐殺の悲劇を伝えていきたい」

 西崎さんそう語った後、追悼碑をじっと見つめていた。(連合通信)
       

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