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2013年 3月25日

自然と共存できる防潮堤つくる 
〈今、被災地では〉下/気仙沼市住民の「海べの森」

宮城県女川町竹浦を歩く

 宮城県気仙沼市の波路上(はじかみ)で、「森の防潮堤」づくりが進められている。コンクリート製ではなく、海辺にガレキと土で丘を築いて照葉樹を植えるという計画だ。景観を守りつつ、津波被害を減らすのを目的としている。(「森の力で減災を」植樹する気仙沼波路上の人たち)

▼コンクリ製もろく

 気仙沼では行方不明や関連死を含め、1450人近い市民が亡くなった。地域を守るはずのコンクリート防潮堤は激震で基礎部分が揺さぶられ、そこに大津波。チリ津波の教訓から平均4~4・5メートルかさ上げされていたものの、その壁はもろく崩れた。

 波路上は気仙沼湾の入り口に位置し、海からなだらかな丘陵地が広がる町。ここを18メートルの津波が襲い、杉の下地区に住んでいた85世帯・312人の家屋はすべてが流され、93人の命が奪われた。

▼森の力で減災を

 この波路上をどう再生し、自然の摂理と共存するか―。高さ9・8メートルのコンクリート防潮堤を造るという国の計画が表面化した昨年、住民はこの途方もない高さの防潮堤計画に疑問を抱き、話し合いを積み重ねた。

 「大雨や台風に備える防潮堤は必要だ。だからと言って、10メートルも必要なのか」「コンクリート防潮堤は完成時から劣化が始まるが、木は植えたときから成長が始まる」「植樹する丘は2メートルでも、木は25~30年後には20メートル以上になる」「津波は完全に止められないが、勢いは減衰され被害を減災できる」。

 話し合いの結果、恵みをもたらす海がいつも見え、海や自然と共存できる森の丘を海辺につくることになった。

 その具体的な姿を地福寺の片山秀光住職(73)は、こう語る。

 「松島には261の小島がある。その小島のお陰で被害が少なくて済んだ。それを海辺につくる。『陸の松島』づくりです」

 住民は「海べの森をつくろう会」(代表・菅原信治さん)を結成、住民参加を募る勉強会も開き、全国に協力を訴えてきた。苗木を確保し、昨年10月7日に「第1回海べの森の植樹祭」を行った。土地は津波で3人が流された家族から提供された。鎮魂を込めた植樹には小学生を含む500人が参加し、数十年後の「海べの森」に思いを寄せ、タブやシラカシ、ヤブツバキなど20種類2800本の木が植えられた。

▼地域合意を大切に
 
 国は今でも、9・8メートルの防潮堤計画を変えないでいる。村井嘉浩県知事も「命を守ることが大前提」との言い方で押し通そうとする。「森の丘」の役割は否定しないものの、その間に起きる災害に「責任が持てない」というのが理由だ。大規模工事には利権も絡む。「海べの森」づくりは、こうしたコンクリート勢力を相手にした取り組みでもある。
 「会」は今年3月にNPO法人の認可を取った。菅原さんは「これを力に全国のNPOにもっと協力をお願いできる」と前置きし、こう語る。

 「コンクリートは50~60年で淘汰(とうた)されるが、『海べの森』はその時、力を発揮する。災害復旧という短い期間で考えず、長いスパンで地域合意を積み重ね、住んで良かったと言われる波路上にしたい」(川島左右喜)

                            

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