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2013年 3月26日

「苦しみの全て、原発のため」 
福島県民の脱原発集会

再稼働NOを大前提に

 「原発のない福島を! 県民大集会」が3月23日に福島市内で開かれ、主催者発表で県内外から約7000人が参加した。呼びかけ人の清水修二福島大教授は「長引く避難や進まない除染、東電に対する訴訟など、なぜ普通の市民が苦労しなくてはならないのか。全て原発のせいだ」と県民の怒りを代弁した。

 集会では農林業や漁業、観光業、県外への避難者、県内在住の母親などが、県民の置かれている厳しい現状を訴えた。福島第一原発がある双葉郡のJA幹部は、原発事故の直後、今集会会場となった体育館で避難生活を送ったことに触れつつ、涙ながらに語った。

 「先人が鍬(くわ)一本から始め、営々と築いてきた営みが原発事故で全て失われた。(賠償の)金銭で解決できるものではない。復興の第一歩は原発をゼロにすることから始まる」

▼県民の団結呼びかけ

 参加したルポライターの鎌田慧さんは「原発事故が奪ったもの、罪深さを感じていない」と原発維持にこだわる安倍政権や電力業界を批判。「もう過ちは繰り返したくない。再稼働は絶対認めない」と訴えた。

 参加者は最後に「再生に向けた道を歩むために、原発依存からの脱却はまさに出発点で、大前提でなければならない」とする宣言を採択。呼びかけ人の一人、ハイロアクション福島の武藤類子さんが「私たちはこれ以上バラバラになってはいけない」と県民同士が団結するよう語りかけた。

県民怒りの訴え 集会発言から

 23日の福島県民集会では、現状に対する怒りや悲痛な訴えが相次いだ。

▼「事故さえなければ」高野桜さん

 3月に高校を卒業し、4月から県内の大学に入学します。原発20キロ圏内にある南相馬市の自宅は除染が進まないので戻れません。家族は福島と山形に分かれて暮らしています。

 高校1年は本校で、2年は(他校に間借りする)サテライト、3年は仮設校舎で送りました。友達は避難先に転校し、一緒に授業を受けたいという願いはかないませんでした。

 仮設住宅の暮らしや、家族や友達と離れ離れなのが当たり前であるのはおかしい。私たちは不安を抱えて生きていかなくてはなりません。原発事故さえなければと何度も思います。

▼「無念さどこに向ければ」/大越たか子さん

 栃木県宇都宮市で避難生活を続けています。あの時は2~3週間で戻れると信じて浪江町の自宅から逃れました。縁のない所で孤独と不安にぼう然と立ち尽くしたこともあります。

 自宅へ一時帰宅し、ネズミやカビに占領されて朽ち果てた様子を見ました。仏壇に手を合わせて後にした時の無念さは、どこに向ければいいのか。いつまで流浪の生活が続くのか。

 原発の再稼働や新設と言うが、人が制御できないものをつくるべきではありません。事故がどんどん風化していくのが心配。今も15万人の避難者がいる事実を忘れないでほしい。

集会会場でも除染土仮置き福島の厳しい現実

 23日の福島県民集会会場となった福島市のあづま総合運動公園では、原発事故の爪痕をうかがわせる光景が見られた。会場の体育館脇にある多目的運動場には、放射性物質の汚染土を入れた土のうが500袋以上並べられていた。

 運動場では、県の発注を受けた業者が土を1メートルほど掘り下げ、土のうに入れる除染活動を続けている。今年12月に終了予定というが、まだ汚染土を取り除いたのは敷地の一角だけ。土のうには作業日や土の放射線量が記され、記者が見たところおおむね毎時0・2~0・3マイクロシーベルトだった。

 土のうの行き先は未定だ。運動場は除染土の仮置き場でもあるが、中間貯蔵施設や最終処分場の設置見通しが立っておらず、除染土はそれまで運動場に置かれたままになりそう。県民がスポーツを楽しむ公園が使えない状態は、「除染から復興へ」という道筋の厳しさを示している。

                            

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