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戦闘は収まるどころか激しさ増す |
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戻らざるを得ない難民たち |
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アラブの春と呼ばれる民主化運動の流れはシリアにもやってきた。 2011年4月15日、シリア国内各地で大規模な民主化要求運動が発生した。これに対して、アサド政権の治安部隊がデモ鎮圧のため発砲し、70人以上の一般市民が殺害された。 ▼死者10万、難民100万超 この事件を機に、シリアは民主化を要求する反政府側と政権を維持しようとするアサド政権側による内戦へと発展していった。 内戦から3年目を向かえるが、戦闘は収まるどころか激しさを増す一方で、2013年7月でシリアの死者数は10万人を超えた。 戦渦を避けるため、多くのシリア国民が周辺諸国のイラク、ヨルダン、レバノン、トルコへ難民として脱出している。 その総数は100万人を突破したといわれている。 ▼「お金なくなったから」 取材に訪れたトルコ南部のハタイ県にある国境では、今年の2月11日に自動車爆弾事件が起き、7人が死亡、約30人が負傷した。この事件をきっかけに国境は閉鎖されていたが、私が訪れた2月17日には開かれていた。 通常、シリアからトルコへと難民が押し寄せて来るものだが、国境はトルコからシリアへ向かう車で大渋滞していた。 せっかくトルコに逃れて来たのにシリアへ戻っていく難民に話を聞いた。その一人は、「難民キャンプはどこも一杯で入れないし、援助をもらってトルコでアパートを借りて住んでいたけど、お金がなくなってしまったから仕方なくシリアに帰るんだよ」と答えた。 どの人に聞いても同じような答えが返ってきた。難民の数が多すぎて支援の手が行き届かない部分もあるが、トルコは国連が介入せず、トルコ政府が独自の方法で難民支援をしているため、より支援が偏ってしまっているようだ。 ▼難民になれるだけマシ 戦争が起きた時、難民になれる人はまだましだ。貧困層であったり、老人や障害者を抱えた家族は戦渦を逃れる事もできず国内に留まり、大変な生活をせざるを得ない。トルコに逃れて来た難民の人達の現状を見ると、国内に留まった人たちがどれ程大変な状況下に置かれているか、想像を絶するものがある。 そして、命からがら避難してきた難民が再び戦渦の元へ戻って行かざるを得ない状況を打開するには、日本を含め国際社会は難民支援の方法を考えなければならない。(記事と写真 フォトジャーナリスト 久保田弘信)=つづく=(連合通信) |
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