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2013年12月12日

3年で15%分を取り戻せ
「労使協調」で得るものなし

〈春闘 私の提言〉/高橋伸彰・立命館大学教授

 1990年代半ばから先進国で日本だけがデフレという現象が起きています。黒田東彦・日本銀行総裁をはじめとするマネタリストの経済学者は「欧米は量的緩和を積極的に行っているが、日本はしていない」と金融政策に原因を求め、「異次元の金融緩和」を行いました。しかし、デフレの真因は日本だけ名目賃金が低下していることにあります。 

 一国のGDP(国内総生産)に対するマネタリーベース(日銀が供給する通貨量)の残高は小泉政権当時の2001年から06年まで、欧米より日本の方が上回っていました。それでデフレが解消しましたか? 通貨供給量がデフレの原因とする議論では説明がつきません。

 欧米が量的緩和に積極的という見方も間違いです。08年末のリーマン・ショックで焦げ付いたサブプライムローンなどの不良債権を買い取るために通貨供給量が増えているのであって、デフレ対策で増やしているのではありません。

 安倍政権の政策は、人々の期待から「芽」程度のものは出ていますが、その先は見えません。小泉政権の時は最後まで花も実もつきませんでした。所得の向上がなければ同じ繰り返しとなるでしょう。

▲外国人株主の割合上昇

 ではなぜ2000年代以降、賃金が上がらなくなったのでしょうか。当時、大手労組の春闘要求はベアゼロに向かいました。「賃金より雇用を重視した」と言われていますが、これは経営側の理屈です。当時、自動車や電機などの大手メーカーは、賃金も雇用も両方追求できる環境にあり、経営危機という状況にはありませんでした。

 バブル以前の日本の経営者は「企業はファミリー」という感覚が強く、「従業員が一番大切で、株主は二の次」と公言する経営者が大勢いました。それが90年代以降、外国人株主の割合が高まり、経営姿勢が大きく変化しました。

 外国人株主の意を受けた経営者は「出さなくていいものならば出すな」というスタンス。「経営が厳しい」という言葉が本当なのかどうか、労組は見極め損ねたのだと思います。

▲人的資本の劣化進めた

 「国際競争が激化したから」というのも経営側の理屈です。グローバル競争は必然ではありません。選択の結果です。必然であるかのように言うのは、経営責任をあいまいにする議論です。

 戦後、日本の主要な売り先は、所得水準が比較的高い欧米諸国でした。日本の消費者にはなかなか手が出ない、それなりにいい物を安く売ってきました。

 それが90年代以降、製品開発を十分せず同じような感覚で少し多めに作れば売れるだろうと、アジア市場への依存を深めていったことが大失敗でした。当然のことですが、新興国もいずれ自前で製品をつくるようになります。価格競争になれば低賃金の国にかなわないのは当然。かつて米国が日本から受けたしっぺ返しを同じように受けているのです。

 汎用品ではアジア諸国とは勝負になりません。高価格を維持できるブランド力の高い製品開発が必要なのに、日本の企業経営者は人件費コストの削減競争に走り、「ヒューマン・キャピタル(人的資本)」を劣化させています。

▲製造業がリード役を

 日本では長らく製造業が賃上げのリーダー役を果たしてきました。製造業が高い賃金を享受し、サービス業は生産性を上げるのが大変なので、販売価格を高くすることで、賃金の底上げを図ってきました。

 人事院勧告を通じた公務員給与のベースアップも全体の底上げ機能を果たし、さらに公共料金も全体の価格を引き上げる重要な要素でした。しかし、今では、公務員の賃金は引き下げられ、販売価格を上げることは許されません。

 サービス業や公務は生産性の向上には限界があります。座り仕事を立ち仕事にすれば現場は疲弊し、鉄道輸送をワンマンカーにすれば安全に影響が及ぶでしょう。「安ければよし」とする発想こそ転換する必要があります。

 この十数年間の生産性上昇分がきちんと分配され、価格の引き上げが行われていれば、賃金は現在より15%程度は高くなっているはずです。来春闘から3年程度かけてでも、この分を取り戻すべきです。

 労使協調で得るものがあればいいですが、労働者はこれまで辛酸をなめ続けてきました。一方、経営者の報酬だけはいつの間にかグローバル・スタンダードに合わせられ、今や億単位となっています。従業員を大切にする経営でなくなった以上、労組はストライキを交渉手段に加えるなど、対応を見直す必要があるのではないでしょうか。

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