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2012年 4月19日更新

         住民戻っても職員は減る一方 激務続く市役所
「南相馬を再び訪ねて」(1)
 
原発事故が影落とす

 東京電力福島第一原発の北方に位置する福島県南相馬市は昨年の深刻な放射能漏れ事故の直後、人口の大半が市外へ避難した。現在は多くの住民が戻ってきている。この1年で暮らしはどう変わったのか、また先行きの見通しはどうか。昨年、原発事故から1カ月後に取材した人たちを再度訪ねた。

▼担い手不足のジレンマ

 昨年4月に南相馬市職労を訪れた際、鈴木隆一委員長は「皆頑張り過ぎてしまっている。口にはしないが、心のどこかに放射能への不安を抱えている」「(原発事故の収束のめどが立たず)住民の方々に1カ月後こうなると説明できないのが辛い」と話していた。

 その後1年を経て、同委員長の不安は的中した。

 4月13日、福島の地元紙は、原発事故の避難区域の自治体のうち、南相馬市の昨年度の早期退職が断トツで多かったことを報じたのである。全職員約840人の12%にあたる101人に及んだ。

 「皆辞めたくて辞めていくわけではないんです。医療、福祉、教育、保育が十分に機能していない下で、家族に介護を必要とする人や重篤な病人のいる人、また、小さな子どもへの放射能の影響を心配する人、事業所閉鎖で夫が配置転換になった人、震災後の激務に燃え尽きてしまった人など、さまざまな事情を抱えた人たちが、『皆さんごめんなさい』と言って辞めて行くんです。原発事故さえなければ働き続けられた人たちです」

 今は避難所や県外での業務は終了し、復興・復旧業務と通常業務に絞られてきている。だが、職員の長時間勤務は改善していない。

 同市の前身である原町市、鹿島町、小高町(2006年合併)ではもともと、90年代後半の「構造改革」で「退職者の席は4割補充」とされ、定員が計約200人削減されるなど、自治体の基礎体力が奪われていたのである。

 そこに津波と原発事故が襲った。東京・杉並区からの職員派遣支援でしのいでいるが、それもいつまでも続けられるものではない。

 避難していた住民の多くが戻り、公務・公共サービスへのニーズは高まっているが、担い手は逆に減って行くというジレンマ。

 特に若い女性職員の割合が大きい市立総合病院(原町区)は看護師不足が深刻で、230床のうち稼働は130床にとどまる。「医師は少しずつ戻ってきているが、看護師は見通しが立たない」と病院関係者は語る。
 職員減少と業務負担増、インフラ機能の低下――という「悪循環」からいかに抜け出すか。特効薬は今のところ見当たらない。

▼毎日深夜の帰宅 

 警戒区域内への「一時帰宅」で住民との連絡業務を担ってきた組合員は、「つい最近まで土日も休めないというのが暗黙のルールでした。深夜11~1時の帰宅はざら。頼んだ昼飯が晩飯になることもありましたね」と振り返る。

 約4000世帯のデータ作成、「一時帰宅」についての意向確認書の発送、電話連絡、許可証の発送を基本的に2人の職員で行ってきた。住民の一時帰宅は全部で3回。昨年5月下旬~8月末、9月下旬~12月中旬、2月上旬~3月と、落ち着く暇もなく行われてきたのである。

 当初はやり場のない不満を抱える住民からのクレームの標的にもなった。放射能への不安から「ここは大丈夫か」と問われても、経験に裏付けられたデータは当然なく、また、自治体職員には「大丈夫」と答える権限もない。

 「市は我々を見捨てるのか」。電話の向こうの悲痛な声に、「安心して暮らせるように私たちも頑張っております」と答えるのが精一杯だったという。

 先の見えない過重な業務が続くなか、心身の不調で倒れる職員は例年以上に増加傾向にあると、鈴木委員長は話す。

 市は16日に警戒区域の再編を行い、一部地域で立ち入り制限を解除した。職員はそれに伴うインフラ整備や、住民対応で忙しい。今後は手探りの除染事業も本格化する。「陸の孤島」と化した地域で、職員の苦悩は続く。(つづく)

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