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2012年 3月13日

「このままでは町が消える」
3月11日に宮城沿岸を歩く

「ここは1年前の『あの日』のままだ」 

 東日本大震災から1年が経った3月11日、被災地は一日中、祈りに包まれた。1万9000人を超える死亡・行方不明者の鎮魂、津波で荒野になった古里の復興に託す思い。宮城県沿岸の「この日」を歩いた。(写真は、被災地で黙とう。南三陸町、防災対策庁舎を囲んで黙とうする遺族)

 防災無線で「高台に早く避難して下さい」と呼び掛けた町職員を含め、41人が死亡・行方不明になった南三陸町防災対策庁舎には、300人を超える遺族や住民が建物を取り巻くように集まった。黙とうが終わっても無言の状態が続く。「3階にいた先輩がここで亡くなった」という高校生、「夫が働いていた」という主婦(52)。立ち去る前、鉄骨がむき出しの庁舎に誰もが再度目をやった。

 74人の小学生と教師10人が死亡・行方不明になった石巻市立大川小学校。校舎前の献花台には遺族や関係者が次々訪れた。我が子の遺体が発見された山側で献花した両親は、「どうして(犠牲に)なったのか…」と言ったきり黙った。

 大川小から約4キロの地点にある石巻市長面(ながつら)。北上川の河口に近い同地区には、125戸ほどの民家があった。そのすべてが地震で地盤沈下し、その後、津波が襲った。整備したばかりの水田は跡形もなく、まるで砂漠状態だ。「ここは1年前の『あの日』のままだ」と言うのは、近くに住む漁師Sさん(65)。ようやく仮堤防の敷設が始まったばかりで、完成後、「辺りの水を抜いた後、遺体捜査になる。民家の解体撤去作業はそれからだ」と嘆く。

 「約4300人いた住民のうち約3000人がほかの地区の仮設住宅に移り、今は町内にある仮設を含めても住んでいる人は1000人ほど」と言うのは、石巻市雄勝町の硯石職人の遠藤弘行さん。「このままでは本当に町が消える」と言い、住民の声に沿って早く町を再生することが必要と述べた。


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