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2012年 4月27日

「どこが収束なのか」 
20キロ地点で営業を続ける飲食店主/〈南相馬を再び訪ねて〉(3)

強まる政治への怒りと不信 

 「刺身とご飯大盛りね」 
 「はーい」
 南相馬市が警戒区域への立ち入りを認める直前の4月14日、東京電力福島第一原発から20キロ地点にあるドライブインには昼前から、作業着姿の人々やお年寄り、親子連れがひっきりなしに訪れていた。笑い声に、聞き取れない地元の言葉が飛び交う。

 昨年、「地域に灯りをともしたい」と、原発事故から1カ月後に営業を再開した店主の男性は、今も家族とともに看板を上げ続けている。あれから1年。政治への怒りと不信はさらに強まっていた。

▼最高の贈り物

 店は、沿岸部の浜通り地方を南北に結ぶ国道6号線沿いにある。昨年の訪問時は、店から300メートルほど南の交差点に、通行を規制する検問所が置かれていたが、その直後、店のほぼ前に移された。

 法人経営で、今年3月までは売り上げが事故前の約3割という水準が続いた。1年を節目に住民が少しずつ戻り、今は5割程度に持ち直している。ただ、不動産の担保価値はほぼゼロになったと嘆く。設備投資のための融資もままならず、息子に継がせる事業の先行きを見通しにくくなったのが辛い。

 国の指針では利益が出た分だけ東電の賠償が減額される。苦労してまで営業するのは損ではないか。そう問うと、「地元に残るじいさんやばあさん、原発で命懸けで働いている人のためにも続ける。お金の問題ではない」と語った。

 店内には、市内の仮設住宅で暮らす地元住民からの感謝状が飾られている。店主の志を称える最高の贈り物。「あの時は涙が出たね」。一瞬声が震えた。

▼地震のたびに不安

 昨年訪れた時は被災地を置き去りにした政府の右往左往ぶりに、「政治家はここで1週間暮らしてみろ」と怒りをあらわにしていた。今はどんな心境か聞いてみた。

 「野田首相は『収束』を宣言したが、この辺に住む人たちは皆、『何を言っているの?』という感じ。本当に大丈夫ならば、自分の子や孫を1年間住まわせてみろ。そのくらいの覚悟を持って言っているのか」

 ちょうど前日、市内は震度4の揺れに見舞われたばかり。地震のたびに「原発で何か起きたのではないか」という不安に駆られると話す。たかだか20キロ向こうで再び過酷事故が起きるかもしれないという恐怖は、この地ではまだ過去のものではない。

 そんな思いをよそに、政府は「収束宣言」「警戒区域解除」など、「安全」を演出する既成事実づくりには熱心だ。このままでは事故が風化してしまうといういら立ちが、店主の言葉の端々ににじみ出る。

 永田町と原発事故被災地との認識の溝は、事故から1年を経てさらに深まっていると感じた。(つづく)            


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