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2012年 9月14日

オスプレイを飛ばすな 
招かれざるものとたたかう 

高江、辺野古、普天間の地で

▼建設が進むヘリパッド

 米軍北部訓練場がある東村高江地区は、会場の宜野湾市から名護市までの高速道路を使っても約2時間半はかかり、県民も容易に通えない。この地の森は本島の水がめだが、沖縄防衛局は木々を踏み倒してヘリパッド(着陸帯)建設を進めている。オスプレイを森の上空で飛ばすためだ。(写真は沖縄・辺野古の海)

 反対住民たちは、建設計画が浮上してから工事現場のゲートに拠点を構え、国に裁判を起こされても工事阻止を貫いている。だが、今年に入ってオスプレイ沖縄配備が具体化すると、防衛局はいよいよ強引になり、9月になってからは連日のように作業員や機材が現場に入れられている。

 厳しい状況のなか、支援の輪も広がっている。拠点に張られた横断幕は昨年と比べて格段に増えた。くだんの若者たちは本土の出身者も少なくない。ある女性は3・11と原発事故の放射能汚染を目の当たりにし、関東から避難してきた。
 「高江には各地で原発運動に取り組む人も訪ねてきます。私も大飯原発が再稼働したときは、現場へ抗議に行きました」

▼立ちはだかる政治

 彼女は3・11以前、政治に無関心だったという。だが、高江の地で、住民よりも米軍の意向を重んじる国の態度を見続ける今、「国民の税金を使ってひどいことをする政府なんていらない」とさえ思っている。

 ヘリパッドの工事は、県選出の下地幹郎衆院議員の親族の建設会社が受注した。与党・国民新党の幹事長である下地氏は大会に姿を見せたが、高江の若者らの抗議には目もくれなかった。

▼「ふつうは反対なんかできないんだよ」

 森本敏防衛相は就任する前の著書で、名護市辺野古の海を埋め立てて普天間基地の代替施設を建設する計画は、オスプレイの重点配備を見据えたものだと明かしている。

 「そんなことをされたら漁港や周辺は封鎖されて、子どもや孫は地元の海で遊べなくなる。住民の漁船も立ち退かなくてはならない。未来はどうなる」

 こう憤るのは、辺野古地区の住民である浜川正浩さん(68)だ。彼は住民で唯一、新基地建設に公然と異を唱え、反対派市民が漁港脇に設けたテントに出入りしている。そのせいで区長から「お前は住民じゃない」と告げられ、区の会合に参加を許されていない。

 「区長は会合で基地がらみで下りてきた区の予算を使い、住民たちに5キロのコメ袋を配っている。ましてや親兄弟や親戚、隣近所の目もある。普通は反対なんてできないんだ」

▼枯れていった「宝の海」

 これほど殺伐としている辺野古でも、浜川さんが幼いころは「貧しくても食うには困らなかった」。学校から帰ると、子どもたちは近くの山に出向いて取った竹を割って薪(まき)をつくり、地区の売店でコメと交換していた。海はとても豊かで、浜辺に行けばエビやウニ、タコ、ハマグリなどが一度に3日分も取ることができた。それは海岸から沖へ群生していたサンゴの賜物だったが、近くの米軍施設「キャンプ・シュワブ」のためとみられる整備で削られ、生物も姿を消していったという。

 「おかげで辺野古沖では漁が難しくなって、数千万円もする船を売り払う人が増えた。本当は子や孫に継がせようと考えていたはずだけどね。今じゃあ、あてがわれた軍用地代に頼る生活に堕落してしまったよ」

 浜川さん本人も20年ほど前に漁師から建設作業員に職を変え、本土の米軍基地の工事現場に出稼ぎをしてきた。軍用地代を受け取れるのは古くから住む住民で、戦後以降に移り住んできた人たちは対象外。彼らはいわゆる「基地経済」をあてにしたが、思うような仕事を得られず、地区を去る人も少なくないという。

▼「絶対に建設を止める」 

 浜川さんにとって、オスプレイが配備予定である普天間基地の実情は、もちろん他人事ではない。

 「米軍は戦争のどさくさに普天間の住民を収容所に入れて基地をつくった。その基地を返すから辺野古の海を譲れというのはおかしい」

 辺野古移設はオール沖縄で反対しており、今のところ計画は進みそうにない。だが、オスプレイを世界一危険な基地といわれる普天間に配備しようとする日米両政府の姿勢に「移設を実現させる脅しでは」との受け取りも広がっており、仲井真知事の9月9日の県民大会欠席は、県民の疑念をさらにふくらませている。
 浜川さんは辺野古の海を眺めながら決意を語った。

                                               

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