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平和の枠組みを世界モデルに
ジャーナリスト 柴田 鉄治さんに聞く(南極観測隊に同行取材)

 40年前に朝日新聞の報道記者として南極観測隊に同行取材した柴田さんは、東西冷戦中でありながら、国境も軍事基地もない南極の地に感動しました。40年後、再び訪れた南極で柴田さんは確信します。南極条約の精神こそが今の世界には求められていることを。

 南極から人類と地球の未来を考える

「動機不純に産まれたのが南極条約」と柴田さんは語ります。米ソそれぞれが「軍事基地をつくるのではないか」との疑心暗鬼から成立したからだといいます。しかし、できあがったものはすばらしいものとなりました。
 実は条約締結当時、南極に領土を主張していた国は7カ国もありました。しかし米ソの説得もあり調整がすすめられ、条約では7カ国を念頭に「領土権を放棄しなくてよい」としたうえで、「新たな領土権の主張は認めない」とされました。その一方で「平和的目的のみに利用する」「科学的調査の自由と協力」などをきめることで、事実上、領土権の問題を凍結し軍事的利用を制限したことになりました。軍隊も国境もない世界が地上に出現した瞬間です。

 9・11を契機に再び南極へ

 その大自然はもちろんのこと、国境も軍事基地もないという意味で、「地球と人類の未来を先取りした地」ともいえる南極の感動は、柴田さんのその後の長い記者生活の間もずっと生きていました。そして、朝日新聞社退職後の大学での教員生活などを経てすべての役職を退職した70歳という人生の区切りを迎え、南極観測50周年の年に、再び同行願いを提出しました。
 同行願いには書かなかったものの、9・11以来、血生臭くなる一方の世界と日本の情勢について、改めて南極の地で考えてみたいとの思いもありました。
 今回の南極でも、各国の人たちが協力し合う姿が印象に残りました。作業中にケガをしたドイツの隊員を昭和基地内の病院に運ぶ、急病になった日本の隊員をドイツの飛行機が拾いノルウェーの観測基地とケープタウン経由で日本に一時帰国させる、などの協力と交流が日常的に行われていました。

 「世界中を南極に」

 40年ぶりの南極は、通信手段や住宅環境は一変していたものの、大自然とそこで働くひとたちの助け合いの哲学や働き方も驚くほど変わらないままで、「40年前の自分にタイムスリップする奇妙な感覚」にしばしば襲われたと語ります。
「世界中を南極に」 40年ぶりの南極から日本に帰国した柴田さんの眼にとびこんできたのは、竹島問題で反発し合う日韓の姿でした。「世界中の戦争や紛争も、各国が国益を主張しすぎることを少しづつ抑えることができれば」とのもどかしい思いにかられました。
 「地球環境問題もそうです。二酸化炭素を減らすという目標についての各国の足並みはそろっていません。国境を低くする、国益を抑えることを世界中に広める以外に人類に未来はないでしょう。このままでは核戦争か地球環境の悪化で滅ばざるを得ないからです」
 柴田さんは、2007年の年賀状に「世界中を南極にしよう」と書きました。国単位で考える、国境を考える視点から地球まるごとの視点こそが未来思考だとの確信からです。
 そして柴田さんは、平和憲法をもつ非戦の国という意味で、南極条約を具現化した世界で初めての国とも言える日本こそが、その未来志向を世界に呼びかける先頭に立つ資格のある国と語ります。
 「これからの地球を支える若い世代への語り部の役回りに徹したい」と話す柴田さんです。


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