![]() |
Home 情報ボックス 府政NOW 京の写真館 賃金 料理 大学の法人化 |
---|---|
「一滴の血も流させない」 |
---|
意見書提出への思いを聞く |
---|
![]() ▲湾岸戦争のときから 現役官僚時代、戦地への自衛隊派遣が最も現実味を帯びたのは1990年、湾岸戦争のときだったという。「海外派兵が決まれば、命の危険にさらされるのは制服組。当事者の彼らは反対の声を上げられなかった」。そんななか、「内局の私が言い回るんだ」と決意し、庁内で反対の声を上げ続けた。当時の国連平和協力法案が廃案になったため、戦地への派遣は免れた。 1992年、PKO法に基づいたカンボジア派遣の際には、奇しくも副担当になってしまった。陸上幕僚監部に「私は派遣には反対だ」と示した上で、「血を一滴でも流すな。絶対に命を落とすな」と指示し続けた。 「『頑張ってこい』と言ったら真に受けて頑張り過ぎるのが日本人。地雷があるような現場で頑張り過ぎたら命を落とす。部下に『頑張れ』なんて絶対言うな」と強く指示したという。その陸上幕僚監部からは、「そう言ってもらえると気が楽です」との返事が返ってきたと振り返る。 ▲現役はものが言えない 意見書提出は、今回が初めてではない。2003年には、イラクへの自衛隊派遣に反対する要望書を小泉首相(当時)と国会議員に提出した。 そのときの思いをこう語る。 「現役防衛官僚は政府の考えがおかしいと思っていても声を上げられない立場。OBになれば、勇気を持って反対を唱えられるはずだが、当時は誰もいなかった。私がやるしかないと思った」 国会では野党の国会議員が市長の要望書を片手に小泉首相を追及してくれた。結果として自衛隊は危険なところには派遣されないこととなり、隊員たちの安全に貢献できたことを実感したと語る。 ▲「理論発信は私の任務」 「国を断固、守らねばならん」「自衛隊員に戦地で一滴の血も流させない」というのが、現役時代からの一貫した信条である。 「防衛問題は国会でも波風の立つ分野」だった。国会担当になったときには、野党議員からもたびたび攻め立てられた。そのやり取りを通じて防衛理論を紡ぎ上げてきたという。 OBとなった今でも「防衛理論に通じている人間が、しっかり物を申さなければならない」「防衛理論を国会議員や国民に承知してもらうために発信するのは私の任務」と自覚している。 だからこそ安倍政権のめざす方向に黙っていることはできない。今回の意見書では「日本への攻撃が伴うケースなど首相が集団的自衛権の説明に持ち出した事例は全て個別的自衛権で対処する問題」と詳しく指摘した。「集団的自衛権はいったん行使すれば海外の戦場で自衛隊員が血を流し、命を落とすことになる。なんとしても阻止しなければならん」。(連合通信) |
|
---|---|
|
|
-府職労ニュースインデックスへ- |