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2014年 4月24日

普段は意識することの少ない憲法
でも、生きていく上での大切な指標

松村比奈子の憲法講座

 普段は意識することの少ない憲法。でもそこには私たちが生きていく上で、深い含蓄と指針が盛り込まれています。憲法とは何かを改めて考えてみましょう。講師は複数の大学で講義を行っている松村比奈子さんです。

(1)憲法は食えない餅なのです「不断の努力」なければ死文に 

 私たちが日々暮らすなかで「憲法は何の役に立っているの?」という疑問を聞きます。でも、この質問には誤解があります。憲法ははっきり言えば絵に描いた餅であって、条文の内容通りに社会が動くわけではありません。

 憲法に書かれていることを現実のものにするためには、国民の意識とパワーが不可欠です。大切なのは条文ではなく、それを具体的に実現しようとする国民の意識とパワーの方です。

 米国の独立宣言(1776年)は「すべての人間は生まれながらにして平等」とうたっています。しかし、黒人の奴隷貿易が盛んになったのはこの後。1865年の憲法修正で黒人への公民権付与が定められても、実際に選挙権を得たのは1964年です。

 実に200年近くもかかって「平等」を実現したのです。この間に不断の努力があったからこそです。

 戦前のドイツには、世界で最も進んだワイマール憲法がありました。それなのに1933年に独裁者ヒットラーを生み出してしまいました。国会が全権委任法を通して三権分立をつぶしてしまったからですね。

 いい憲法があって、いいことが書かれていたとしても、それは絵に描いただけの食えない餅。具体化に向けた地道で不断の努力がなければ憲法は死んだも同然となるのです。

(2)愚かな主権者になるな教育に大切な役割あり

 憲法に書かれている内容を実現していくのは、主権者である国民です。主権を正しく行使できるかどうかが問題ですが、そのために教育を受ける権利が保障されているのです。

 古代ギリシャの哲学者だったアリストテレスは、いろんな政治体制の中で「民主主義の政治」が一番ましだと言いました。ただ、民主主義はややもすると衆愚政治になりがち。そうならないようにするには、教育がどうしても必要です。

 ハーバード大学ができたのは1636年。英国の人々が米大陸に移住した5年後です。生活もままならないときに、大学をつくった。民主政治には教育が必要だと認識していたからです。大学は教養を修め、国民主権を行使する国民を育てる場だという伝統は今も生きています。

 権力を持つ人たちは教育に介入しようとします。でも、権力者の手に渡してはなりません。米国に国立大学がないのはそういう意味であり、主権者を育てる教育は民衆のものであるべきという発想なのです。これは公教育の保障とは全く別のことです。

 日本の場合、主権者意識という点で気になるのは、「遠山の金さん」や「水戸黄門」の人気ぶりです。「お上」がなんとかしてくれるというのは身分制社会の意識であって、民主主義社会の意識ではありません。ヒーローに期待せず、主権者自らが行動する必要があります。

3)アベノミクスはなぜダメか希望と勤労意欲が決め手

 中世の封建社会から資本主義の世の中になるとき、二つのことがどうしても必要でした。それは、平等と勤労意欲です。

 中世の身分制社会では、民衆は食うために働くだけでした。働くことは宗教的には罰とも考えられていました。でも、資本主義の社会ではイノベーション(技術革新・新機軸)が求められます。食うためだけでなく、「いい生活がしたい」「儲けたい」という希望・動機が大切になります。そのために身分制をなくして平等にし、財産権も認めたのです。

 このことは日本の明治政府も分かっていました。江戸時代は、はっきり言って勤労意欲の乏しい時代でした。そこで勤勉な国民をつくるにはどうすればいいかと考えた。士農工商の身分制度を廃したうえで、全国の学校に「勤勉な人」の象徴的存在である二宮金次郎の銅像を建てました。資本主義を正しく進めるには勤労意欲が必要だということです。

 そう考えると、いま安倍政権がやっている「アベノミクス」はダメですね。大企業のモチベーションは確かに高まりました。でも一般の人々はそうではありません。特に、非正規雇用で働く人々は、明日の希望が見えない。こんな状態で経済が良くなるはずがない。 

 憲法が定めている勤労権や人権は、希望を持って働けることを保障している大切な規定だといえます。 (連合通信)                         
 

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