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2014年 4月24日

海外で人を殺す国にするのか
解釈改憲狙い

インタビュー/青井未帆・学習院大学大学院教授

 海外での武力行使を可能にし、日本人の血が流されることを前提にしているのが今回の解釈変更です。有事の際に弾となり盾となる私たち国民に、なぜ変える必要があるのかという十分な説明があって然るべきなのに、それがありません。「近隣諸国の脅威」という人々の漠然とした不安をうまく利用し、それを奇貨としておし進めようとしています。

 安倍政権は基本的なところで「立憲主義」を共有していないと思います。立憲主義とは、国がやってはいけないことを示した高次の規範。国家権力は何でもできる力を持つ、だから権力を憲法に従わせ人権を保障する必要があるという普遍的な考え方です。

 それが、憲法学者がメンバーに入っていない、しかも首相の私的懇談会に過ぎない安保法制懇が出す報告書を元に、閣議決定で解釈を変えようとしています。そういうやり方は本来想定されていません。

 憲法9条は単なる理想と見なされてきたのではなく、安全保障政策を縛る規範的な力が認められてきました。この力をなくそうというのが、解釈変更のねらいといえます。本来なら憲法改正によって国民が判断する事柄ですが、政府は必要な手続きを全く踏まずに9条を壊そうとしています。

 安倍首相は「最高責任者は私だ」と解釈変更に突き進む意思を示しました。立憲主義のもとでの民主主義とはそういうものではありません。非常に乱暴です。

▲深刻な格差が温存

 海外で武力行使できることが前提となると、社会全体の性質も大きく変わります。自由な表現や知る権利も制限を受ける場面が増えるでしょう。昨年成立した特定秘密保護法がそうですね。国内の物流企業や自治体の協力も不可欠です。軍需関連の物資や製品を扱う企業で働く人の「適性評価」が重要となるので、私生活が監視対象となるかもしれません。

 少子化が進む今、海外で戦争する自衛隊に誰が入るでしょうか。米国では貧困層の多くの若者が医療や教育を受けるために軍隊に入ります。社会保障予算を削減し、深刻な社会格差を利用して、成り手の確保を図ることも考えられます。

 国際紛争を軍事で解決しようとすること自体、時代錯誤です。防衛大綱などをみると、尖閣などの領土を占拠された際の想定で、軍事力で奪い返せば解決するかのような認識が示されています。

 しかし、実際はそれで終わるどころか泥沼化するというのが、イラク戦争などでも示されている、戦争の実態。だからこそ十分な外交努力が必要なのですが、そうした現実感が欠落しています。

▲理念を捨てていいか

 集団的自衛権を「必要最小限度」の実力行使に限って認める「限定容認論」まで登場しました。

 従来の政府解釈では「自国の防衛のため」という限られた目的のために、憲法9条の下でも自衛隊という実力組織が存立しうるとしてきました。「必要最小限度」とはいっても、他国の防衛のための実力行使を認めれば、9条はもはや意味をなしません。安全保障政策の根幹が大きく揺らいでしまいます。

 今、日本社会は大きな転換点を迎えようとしています。戦後70年間、日本は国の名において海外で人を殺していません。これはすごいことです。それが海外で人を殺し、殺される国になる。それはあるべき姿でしょうか。「平和国家の理念を捨てていいのか」ということを私たちは考えるべき時です。 (連合通信)                         
 

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