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京都府職員労働組合
府政トピックス

自治研集会 府職労佐井委員長あいさつ


 3連休の初日というお出ましにくい中にも関わりませず、自治研集会にお集まりいただきました皆さんに心からお礼を申し上げます。特に、住民運動・住民団体、労組・民主団体の皆さん、そして学者・研究者の皆さんが、私たち府職労のさまざまな運動に、日ごろからたくさんのご協力をいただき、こうしてご一緒に研究の集いを開催できましたことに対しまして、心からお礼を申し上げます。また、住民の利益になる府政改革の方向について、府政内部で常に考え、そのとりくみを持ち寄られました組合員の皆さんにも感謝を申し上げます。

小泉構造改革は、政府・財界によって、明治維新、戦後の復興期に次ぐ第3の改革と位置付けられています。地方自治をめぐっても、カタチ、モノ、カネ、そしてヒトのすべてを、再編成しようとするドラスチックなものです。それだけに、全国あらゆる地域で、住民各層との矛盾を非常に深刻にしてきているのも大きな特徴です。
一方で、「自治体らしい自治体をとりもどす」力強い新しい地方政治の流れ、未来へ希望ある変化も確実に拡がっています。21世紀の初頭の今、まさに「地方政治をめぐる二つの道の対決」は、鋭さを増してきています。
こうした激動の時期だけに、池上先生の講演からも学び、ご参加の皆さんが活発に議論していただくことをお願いするものです。

さて、私たち府職労は、自治体に働くものとして、二つの方向での運動を重視してまいりました。
 その一つは、要求の実現をめざして、住民の皆さんと手を携え、幅広く共同してがんばっていくという方向です。自治体要求連絡会は、府内15の地域で結成され、粘り強い要求運動がとりくまれています。京都総評の自治体要求運動は、「総行動」という形で、労組と住民団体の共同の取り組みとして定着し、発展してきています。
 乳幼児医療の改善を求める、バギーの若いお母さんたち、住宅改修制度を求める、命と暮らしをかけた建築労働者。要求するだけではなしに、現に実現するまで、とりくむ姿勢。切実な要求から政治改革に接近し、立ち上がる姿。さまざまな人たちから、多くのことを学び、たたかうエネルギーをいただきました。そうした、「共同の運動」の中に、私たち府職労があることを本当にうれしく思います。私たちは、この道をいっそう強くすすんでいきたいと考えています。

 もう一つは、住民の利益になる方向で府政を改善・改革するための運動です。
 単なる反対というだけではなしに、提案型・建設型の運動方向で、アンケートや職場の意見をもとにして、「財政再建の提言」や「府政改革の提言」など、府政と仕事に関わる提言づくりの運動もすすめてきました。また、職場要求でも、仕事の改善の要求も重視してきたところです。
一人一人の労働者が住民の利益にたった仕事を誠実にしていく権利を、団結の力で保障していくことは、労働組合の大きな任務だと思います。そして、労働組合運動として、提案型・建設型で、仕事の改善に取り組むことが、管理職も含めて、職場全体で良心的な仕事ができる保障になると考えています。 
 また、府政内部でのこうしたとりくみとともに、府政の状況を府民の前に明らかにして、府民のみなさんから学び、府民のみなさんと心をあわせて施策をつくっていくことも、重要な自治体に働くものの役割だと考えています。その一つとして、「府政懇談会」「要求懇談会」などを地域・分野でとりくんでまいりました。そして、府民のなかに打って出る役割の大切さを教えていただいているころです。住民参加のために、自治体労働運動の果たす役割は何なのか、こうしたことも模索しながら運動をつみあげていきたいと考えています。

さて、春の知事選は、府政労働者として、「全体の奉仕者」としての役割を、民主府政のもとで、全面的に発揮するという結果をつくり出すことにはなりませんでした。しかし、府職労は、「新しい政治の始まりの始まり」という府民の運動の到達点にふさわしく、住民要求実現に向けての共同の運動と、住民の利益になる方向で府政を改善していく運動、この二つの運動を「車の両輪」として、さらにいっそう強めていく決意です。

 終わりになりますが、日ごろ皆さんが思ってこられたこと、そして研究を重ねてきていただいたこと、これらを限られた時間の中ではありますが、真摯に語り合っていただき、実りある成果をつくりだしていただくことを重ねてお願い申し上げまして、開会にあたっての主催者を代表してのあいさつとさせていただきます。

2002.9.14  記念講演
自治体再編政策の本質と都道府県の民主的改革の道(大要)

自治体問題研究所 主任研究員 池上 洋通 氏

はじめに


 おはようございます。ご紹介いただきました池上です。
 こんにち、地方自治体をめぐる状況は、たいへん厳しいものがありますが、全国をかけまわってみますと、新しい時代の流れに接することができ、明確に21世紀は地方自治の時代であるといえるような面もあります。そして、きょうは、都道府県をめぐる情勢を中心にお話させていただき、私たちのすすむべき道は何かということを、ともに考えてみたいと思います。
 私はこの間、約200ぐらいの全国の市町村に出かけており、行く先々で変革を迎えつつある日本の地方自治の現場をみてまいりましたので、最初にそのことにちょっとふれさせていただきます。



 私がうかがったところでいちばん小さな村は、人口720人という長野県の売木村です。この村では、市町村合併について、村長をはじめ、村の幹部職員、議員たちが「自分たち自身の力で立っていくほかはない」と気持をかため、一致をさせていました。もちろん、中には「合併」という声もあるのですが、全体としては「合併すべきではない、720人でどこが悪いんだ」という構えで市町村合併に向き合っていました。
 村当局の立場で、私を招き講演をさせたのですが、その前段で推進派の立場と反対派という立場から2人をよんだのです。

 隣り村は600人、さらにその隣り村も600人、村全部が山に囲まれているところです。そんなところを合併してもどうにもならない。そうしたところにいきなり「合併しろ」と権力的におしかけてくる。そういう流れに対して「自分たちは合併しない」という声をあげ、ひじょうに激しい反発があるわけです。
 大都市からみると、なぜ何百人の村なんかを残しておくのか、という人がいますが、それはまったく地方自治というものをわかっていない。自分たちが何人で自治体をつくろうが勝手だ、というのが日本の地方自治法の考え方です。そうしたことがおよそわかっていないのに、上から何かいえば従うのかと思っています。
 今度の長野県知事選挙後、田中知事が勝利会見でいった特徴的なことは、「自分も市町村合併の押しつけをやっていたが、それは正しくない。これからは押しつけの合併政策をやめるんだ」ということを記者会見ではっきりいったのです。これはたいへん大きなことであります。つまり、行政の担当者、とくに知事や副知事クラスの人が、きちんと市町村と話し合いをして、どうするのかという方向を決めれば流れは、おのずと明らかになります。その場合、区長をよびつけるのではなく、自分が出かけていき、ちゃんと学ぶ姿勢をもつのかどうか、それが決定的に重要だということを教えているのです。
 私は、日本中を歩きながら、いつもそのことを思っています。まず第一にみなさんに申し上げたいのは、なによりも「府政の現場はどこなのか」「誰のための、何のための府政なのか」「何のために働くのか」ということをいつも忘れずにいてほしいと思います。まさに、現場主義を貫くような府政労働者であってほしい、ということを率直にお願いします。現場に行きますと、感動を覚える事例にいっぱい出会います。はじめに、きょうの自治研集会で、自分たちのよって立つ位置はどこなのかをまず確認をさせていただきたいと思います。
 市町村合併、公務員のリストラ、健康保険本人の自己負担三割など、いずれの課題も、それはいったいどういうことなのか、なぜこんなことが次々におきてくるのか、その根っこにある課題は何なのか、現在の情勢をどうみるか、ということです。

1 現在の情勢をどう見るか


1)21世紀を迎え、きしみ、激動する日本の政治と社会の見方


 いまの日本の情勢をひとつかみすることが可能なのか、という質問をされます。
 それに答えようとして90年代の半ばぐらいから、なんとかひとつかみ方式の図をかいてみようと努力をしてきたわけです。
 この(資料:1)「21世紀を迎え、きしみ、激動する日本の政治と社会の見方」は、上にアメリカ、アジア、太平洋諸国、国際関係となって、それが多国籍企業や資本によって動かされています。
 アフガンの問題でも、今度のイラクの問題でも、実は、あの背景にはブッシュ大統領がたいへん強く結びついているアメリカの石油資本があります。イラクというのは世界で第二位の石油産出国で、その利権をどうつかむか。アメリカのジャーナリストたちが「ブッシュが悪の枢軸などと言うのはそのつけたしに過ぎない」ということをさかんにいっています。もちろん、それだけをみるのは正しくないですが、私たちは基本的な力として動いている面もきちんとつかんでおく必要があります。
 そして、わが国は世界有数の経済大国でありますから、その大きな組立のなかに当然日本の大資本・多国籍企業とよばれるものがあり、そういった力が働いているとみるべきであります。
 図の一番下には、そういう力に対抗して、国民・住民の各層・各分野の社会的政治的運動の展開があるわけです。そして、われわれの国際的連帯があります。この二つが向き合い、基軸的な対向関係にあります。これを行政でみるとどうなるかということです。

2)日本の国家改造計画としての構造改革


 日本でおきている行政の把握として、基本的なキーワード「軍事化・統制化」「支配体制の再編」「新自由主義路線」というものがまずあり、これらが絡み合って進行しているわけです。そして、その結果として、「国民生活の貧困化・不安定化」が激しくすすんでいます。
 いま私たちの国は、社会的な基盤がほとんど崩壊しつつあります。そういう認識をもつかどうかというのが、いま、ひじょうに大切になっているわけです。右側にある「環境破壊・まちこわし」というべき流れが、いっそう強まるというのが私の認識です。
 ただ、ここに書かれている項目は、それぞれの項目ごとに研究をやってみるとわかりますが、かなり用意周到につみあげられてきているものと、アメリカのいいなりにいまの状況にあわせて次々に出してきているものにわかれますが、全体としてかなり時間がかかってつくられてきています。
 とくに、私たちが意識的に考えるのであれば、橋本内閣のときの6大改革、そのとき以来の積み上げというふうにみるべき路線であります。したがって、小泉改革というだけでは認識は足りない。これは財界がバックにあり、つくっている総路線だということです。それは、政治的に考えると国家改造計画であり、憲法改正論に当然いきつき、ご承知のような動きがつくられています。

 @ 有事法制と有事体制の区別と関連

 いま、私たちの目の前におきている有事法制というものを考えた場合に、前の国会で有事法制法案というものを実現させませんでした。しかし、それで安心などはとてもできません。有事体制のほうはすすんでいるのです。
 有事法制と有事体制は区別してみなければダメです。有事体制というのは、新ガイドラインに基づくところの「周辺事態法」で、これはすでにできています。
 「テロ対策特別措置法」は、発動されており、現在、日本の海上自衛隊の軍艦がインド洋にいるわけで、国際法上は戦争に加わって、アメリカが指揮している戦争の一翼を同盟国として担っているわけです。そういう意味では、わが国は戦時下にいるのです。みなさん、そういう認識があるでしょうか。
 いま、日本の自衛艦は物資などを運んでいます。もうすでに20隻も出ていて、その内現在展開しているのは6隻です。まさに戦時中なのです。
 その海上自衛隊の軍艦は、その行動を全部英語でやっています。なぜならアメリカ軍の指揮下にいるからです。日本はもうアメリカの植民地です。
 有事法制を阻止しているということと、有事体制がつくられて動いているということと、区別と統一でとらえないとわけがわからなくなります。そういう危機意識をみなさんはもっていないと私は思います。

 A 有事体制下の公務員

 私は自治医科大学で教えていて、そういうことを専門的に研究してきたのですが、戦争には絶対に医療は必要です。いま、女性の自衛官として、将官がいますが、日本の場合、ほとんど看護婦と女医で、戦闘行為はさせていませんが、もうすでに行っています。総動員体制です。そういうことをきちんとみないと、公務員とは何なのか、公務労働は何かという、本質がどうなってきているのかわからなくなります。
 憲法九条のもとでの公務員ではなくなってきています。もし犠牲者が出ると、その犠牲者はどう考えるのか、国のためにたたかったじゃないか、おまえたちは冷たく考えるのか、というふうにまちがいなくきます。それが英霊論になるわけです。そういう意味では、私たちは、もっと事柄をリアルをみる必要があるということです。
 そういうふうに1つ1つをみますと、私たち自身が立っている位置はなにかということを本気になって考えなければダメだなぁということばかりです。

 B 住民基本台帳法の改正と国民統制

 住民基本台帳法の改正があり、いま住基ネットが問題になっています。住民基本台帳法の改正論があったときにわれわれは激しく反対しましたか?、ほとんどやっていません。改正問題があった時に、本気になって全面的な議論を展開すべきだったのです。私が編集長をやっていた「住民と自治」にそれを書いても全然反応がありません。それが現実なんです。
 私たちは、そういう意味では情勢からかなりずれており、住基ネット問題では後ろを追いかけてもいないのです。変わったところの首長がなんかいっているなぁーという感じでいます。どういうネットなのかということを改めて考えてみる必要があります。


  C 国歌・国旗法、それに基づく教育統制

 教育統制というよりは国民統制になってきていますね。全国で敬老大会みたいなのを開けば全部「日の丸」を揚げ、「君が代」を歌って、高齢者は全然抵抗しませんよ。腹の中で抵抗している高齢者がいても、そんなもんかなぁーという感じで、それがイヤだから敬老大会に行かない高齢者も増えています。
 青少年社会環境対策基本法案というのを知っていますか?個人情報保護法案といっしょに出されているのです。
 少年法を改正しましたね、これまでの少年法は罰が甘すぎるから厳しくするということで年齢を14歳までに引き下げ、懲罰を厳しくした。そうしたら「そんなことをいっても、青少年が悪くなるのは大人がつくった環境のせいではないか」という議論が出てきた。それに政府がとびついて「青少年社会環境対策基本法案」というのを国会に出してきた。何が書かれているかというと「子どものために、子どもために…」というのがあって、「子どもたちにヌードを見せたらいかん」「戦争を見せたらいかん」「暴力を見せたらいかん」「正常でなければいかん」ということになってきて、「そうだ!」となってしまう。これは言論の自由の縛りです。テレビで戦争のシーンを見せたらいかんとなれば、子どもはどうやって世の中の真実を知るのですか。いっていることはめちゃくちゃです。こういうことに、われわれはもっと敏感にならなければダメです。これはある意味では個人情報保護法案より悪質です。それでは世の中の真実を子どもはどうやって知るのですか。法務省に「人権擁護の機関を設置する」というのも法案で出ている。なんのために…、個人情報保護法を成立し、青少年社会環境対策基本法が成立した場合、誰を犯人とみたてるかということを選別する機関をつくるといっています。

  D 個人情報保護法による言論の圧殺

 個人情報保護法というのは、簡単に言えば「ある個人について文章を書いたら発表する前に個人の承認を得ろ」という法律です。
 「小泉純一郎氏は各々然々の政治献金をどこから受け取った」と書くと、小泉純一郎氏に承認を求めるのです。そういう言論というのはあるでしょうか。本人が「ダメ」といったら発表できないのですよ。そんなことをやったら何が起こるのか。ほとんど言論の自由はアウト、個人情報保護法案の汚いところは、新聞と放送局などをはずした。週刊誌もガンガンやられて週刊誌もはずした。つまり、新聞社や放送局のような組織ジャーナリズムや組織的に動いているジャーナリストははずしました。
 作家・フリーのジャーナリストが残りましたが、これでは作家は活動できません。だから櫻井よし子さんのような人まで、この法案をつぶすために運動の先頭に立っています。ついでにいえば、櫻井よし子さんは「住基ネットワークに反対する国民の会」の会長を引き受けてがんばっています。まともに考えたら、政治的立場がなんであれ、この国家はファシズムにすすむというふうに断ぜざるを得ないような流れになっています。そういう意味では、私たちが向き合っているいまの事態というものをどう考えるのかということです。
 私は日本ジャーナリスト会議という組織の一員でありまして、そういう仕事をずっとやってきています。はっきりいって労働組合になんど呼びかけても全然反応しません。「もっとがんばらないと労働組合運動つぶされるぞ」といくらいってもわからないのです。労働組合の言論活動なんかできません。どうしたって、個人の名前をあげて批判をするでしょう。それは「個人の人権侵害だ」ということになります。たとえば、小泉改造内閣というような言葉だって危ないです。「小泉という言葉をとれ」と言われる可能性が大です。そこまできているのです。
 日本のジャーナリズムは、ひじょうにまずくなっています。「現場からです」といってアフガンに立ってしゃべっているジャーナリストたちがいるでしょう。あれ全部、フリーのジャーナリストです。ただ1人も正規の職員は行っていません。正規の職員は戦線には行かないのです。
 そういうもとで、そういう人たちの言論を圧殺してしまえば、どういうことになるのか。「そんなことをいっても、ほんとうに正しいかどうか、個人情報保護法にひっかからないかをきちんと裁判でたたかえばいい」といわれても、裁判でたたかえばどうなりますか。
 「○○逮捕」となれば、それだけで、「ええっ!○○はとんでもないところだ」というふうに国民は思うでしょう。裁判で無罪になっても、あとは小さくしか載りません。つまり、法律をつくって逮捕さえできればいいんです。そうすれば言論はつぶせるのです。治安維持法以来の伝統です。選挙あるごとに「自民党を推薦します」といってきた作家の城山三郎さんが、個人情報保護法を「治安維持法以上の悪法」といっています。「青少年社会環境対策基本法案」「個人情報保護法」「人権擁護機関の設置法案」の三つを「言論弾圧三点セット」とジャーナリスト会議などで規定して、多くのジャーナリストに訴えてたたかいを組んでいます。
 文芸春秋社が出している「諸君」という雑誌があります。その雑誌の櫻井よし子さんとの対談のなかで城山三郎さんがばらしています。
 城山三郎さんは、1995年に赤旗で、ある小説についてインタビューを受けたら、すぐに公安庁から連絡があって、「どういう経緯か教えてくれ」といわれました。その後、しばらくの間、あちらこちらの出版社から執筆のお呼びがかからなかった、ということまで話しています。
 そういう意味では私たちは有事法制を阻止したなんてことに浮かれている状況ではありません。もちろん、国民が本気になってたたかえば成果をあげることができる、ということを示した点ではいいのですが、実際、盗聴法も含めてすすんでいるわけです。いま盗聴法はEメールをのぞけるようにするかどうかで争っています。
 そういう意味では、私たちが生活している中で日本国憲法に照らして、そもそも人間の人格と国家権力との関係でどうなっているのかということまですすんで、きちんと自分たちの道を確認しなければならない、ということをお話をしておきたいと思います。
 ということは、そういう中央権力の手先として府の行政や政治を行えば、みなさん方の労働は単なる中央の権力、つまり反動的な権力の手先でしかなくなる。だからこそ私たちは、とくに自治体労働者についてお話をしたいと思います。
 あなた方はどう生きるつもりですか、ということを問われているのです。「命令だから仕方がない」というのはどうなのか、じゃあ労働組合はどうしたのか、となります。
 「個人情報保護法案」「青少年社会環境対策基本法案」「人権擁護機関の設置法案」とかが出てきたら、もっと敏感でないといけないと思います。あなたがたの労働の本質がどこへいくのかというテーマであり、それらをきちんと考えていただきたいと思います。

3)経済不況の根本にあるもの


 「新自由主義路線」は市場化路線ということであります。このいわば旗振りのいちばんわかりやすいものとして「自治体再編」がおきています。そして、この自治体再編は軍事統制化にも結びついています。公務員制度改革はその中に位置づけられています。また、国民生活はもうすさまじい地域産業の弱体化などがすすんでいます。
 経済的な数字などをながめながら考えた場合、いまの日本の政治や経済はどういうことになっているのかということです。(資料 3:「極端にゆがんだ日本の政治と経済−経済数字を読む」)

@ 世界的にみた日本とアメリカの経済的位置

 まず第一番目に、世界的にみた日本とアメリカの経済的位置です。国連の機関であります世界銀行から毎年「世界銀行地図帳」が発表されており、世界中の経済地図というのが示されています。
 ここで示されているのはGNI(国民総所得)は、GDP(国民総生産)から一定部分の経費を差し引いたものを所得とみなして考える計算の仕方です。GNIでみても、GDPでみても、GNPでみても、その比率はほとんど変わりません。
 世界銀行は低所得国、中所得国、高所得国と分類しており、中所得国をさらに下位と上位にわけています。
 低所得国は一人あたりのGNIは年間755ドル以下、中所得国の下位が756〜2,995ドル以下、中所得国の上位で2,996ドル〜9,265ドル、高所得国が9,266ドル以上というふうに世界銀行は分類しています。
 この分類による国民1人あたりの平均所得をみますと、低所得国が420ドル、中所得国の下位が1,200ドル、中所得国の上位の4,870ドル、高所得国が26,440ドルとなっており、世界平均が5,020ドルで、日本は32,030ドルです。
 高所得国の平均が26,440ドルということで、日本が32,030ドルというのはすさまじい数字であることがよくわかります。この32,030ドルと低所得国の420ドルとを比較すると約76倍となります。つまり、わが国の国民所得を計算すると、1人について低所得国における76人分の所得であります。
 高所得国というのは、いわゆる先進国と私たちがよんでいるもので、人口で約15%です。国民総所得の分類でみますと、人口40.4%を占める低所得国が経済力3.2%、中所得国の下位が8.4%、上位が9.3%、高所得国が78.9%です。つまり人口の15%を占めている高所得国が経済力の約8割をにぎっています。これがいま世界の経済分化の現実です。
 GDPの分布をみますと、これは世界中のGDPを合計しています。これは経済企画庁の計算です。実数はその下の表1です。
 世界には約200の国があるのですが、96年でみますとアメリカが24.7%、日本が15.4%、ドイツが7.9%、フランスが5.1%ということで、この4つの国で50%以上になります。
 現在、国連加盟国が190カ国あるのですが、経済力でみますと4カ国で世界の経済力の2分の1以上をにぎっているということがこれがわかります。97年数字は移動はしていますが基本的な構図はかわりません。
 世界の合計で96年が29兆9310億ドル、97年が29兆5389億ドル、世界の経済規模約30兆億ドルです。みなさん、日本はすさまじい経済大国です。「金がない」などといわせません。

 A 日米軍事同盟と各国の国防支出と兵力

 いま日本の経済というのは、ほんとうにおかしくなっていますが、国際的にみますと日本の経済的な大きさは変わってないわけです。たとえば96年でも、97年でも同じですが、アメリカと日本とたすとどうなるか、世界経済力の40%を越える力をこの二国でもっています。これは何を意味するのか。日米軍事同盟というのは、実は世界全体をやすやすと支配できる力をもっています。この認識を私たちがもっているかどうかです。
 各国の国防費支出と兵力からみれば、アメリカ、ロシア、フランス、日本、中国、ドイツ、イタリアというのが軍事的に大きな国ですが、わが国は4番目に位置しています。ただ、注意をしておかなければならないのは、EUなどにおける軍事費の計算と日本の軍事費の計算は少し違います。EUにおける軍事費の計算では軍人恩給なども含めていますが、わが国は含めていません。恩給などをたすとフランスを超すわけです。
 グラフをみて、みなさんに注意していただきたいのは対GDP比です。わが国の軍事費は、政策的な考えからGDP1.0%に抑えていますが、もしこのタガが外れ、フランスの2.8までいったとすると、わが国の軍事費はこの2.8倍になるわけです。つまり、いいかえますと経済力が非常に高いわが国が、本格的に軍国主義路線をとるとどういうことになっていくか、ということがこれでよくわかります。
 もう一つ重要なのは、わが国の軍事費に対して正規兵力が今日24万2000人という少なさです。つまりこれはわが国は、情報戦型の軍隊であり、おびただしい機器機材をもつことによって成り立っている軍隊であることがわかります。
 この機器機材というものも大企業とつるんで軍事費としてまかなってきているという側面とアメリカの軍事資本にとっての重大な市場になっている、ということがわかります。
 通常兵器の輸出入ですが、これは1994〜98年までの合計の数字です。核兵器以外の通常兵器の輸出入は、断然アメリカが輸出でトップです。アメリカ、ロシア、フランス、イギリス、ドイツ、中国、その他となっていて、ドイツも次第に力が大きくなっていますが、アメリカ、ロシア、フランス、イギリス、中国というのは国連の安全保障理事会の常任理事国です。すなわち世界の平和に最大の責任をもっている国です。
 この国々が通常兵器の輸出の中心の国で、とくにアメリカが突出しています。誰にこれを売りつけているのか。買っているのはアジア、中東その他で、つまり戦争が起こっているところです。この絵からもわかるように買っているほうはみんな貧困です。売っているほうが金持ちです。
 結論を言いますと、武器の輸出入禁止条約というのをつくって、それをきちんと守るならば世界中の紛争のほとんどは終わるのです。カンボジアで、どうしてあんな近代兵器がつくれるのですか、アフガンのタリバンが、なんであんな近代兵器をもっているのですか、彼らは技術的に生産能力など全然ありません。全部売りつけて戦争をさせているわけです。
 なぜ戦争が起こるのか、宗教だとかいろいろな面も確かにありますが、しかし、本質はもっと別なところにあるのです。とくにアメリカのこの数字は何を意味しているのか。今度のイラク攻撃は何を意味するのか。こうした事実にしっかり目を向けなければなりません。
 地雷で足を失ったり、腕を吹き飛ばされた子どもたちを見るのはもう耐えられません。ほんとうにつらいことです。私は1人の市民として長い間、障害者運動にかかわっていますが、子どもたちを見るとむなしくなってしまいます。
 私はある社会福祉法人にかかわっていて、1つは理事をやっていて、経営の責任的なこともやっていますが、バンバン補助金を切られててやっていけません。いま社会福祉法人は、もうもたないんです。
 ああいう写真をみると、そういう努力ってなんなのかと思います。だから、私たちはどんなことがあっても戦争に反対しなければダメです。軍事費を根絶やしをする覚悟で私たちの政治をつくらないといけません。ただ地雷を埋めてあるだけでああいうことが起きているわけです。
 
 B 日本とアメリカの貿易構造の変化

 日本の輸出をみますと、90年には先進国に約60%近くが輸出されていましたが、それが97年になるとひっくり返り、先進国よりも発展途上国のほうが50%を超えました。先進国はずっと後退して40%ぐらいになっています。これらの発展途上国というのは、圧倒的にアジア太平洋諸国です。
 アメリカの貿易構図も同じようになっていまして、93年から95年の数字だけですが、実は先進国からアジア太平洋地域に大きくアメリカの貿易構造がシフトしていることが分かります。これが実は新ガイドラインが背景でした。
 つまり、90年代の後半にいたって、アジア太平洋地域を中心にして大きく力を入れなければならない。とくに日本の大資本は、アジア太平洋地域を中心に利益を得るような貿易構造に転換してきているわけです。
 大資本にとって、自分たちがつくった工場や市場というものが、相手の国で革命が起き接収されるようなことになったらどうなるのか、重大な不安になってきたわけです。引き金を引いたのはインドネシア政変でした。それでひじょうに慌てて周辺事態法にもちこみました。
 つまり、日本大資本は、基本的に多国籍企業化していて、日本の国民の生活がどうなろうと、日本の国内でどんなにクビを切ろうと、低賃金で雇えるアジアでしっかり労働者を雇って儲けさえできればいいのです。だから日本の国民の生活よりも、自分の儲けが第1だということです。
 いいかえれば多国籍企業というのは無国籍企業です。私はよく冗談で、財界人を集めて愛国教育をやれと言っていますが、彼らは全然愛国心がありません。
 しかし、ひとたび海外で自分たちの資本や工場や市場がやられるとなったら、誰がそれを救おうとするのか、誰に救わせるかというと、日本の若者の血と汗が必要なわけです。だから、どうしても日の丸・君が代教育を彼らは求めるのです。愛国心教育なしには成り立たないと考えています。
 自分たちは愛国心を投げ捨てた無国籍の企業に他ならないわけですが、自分たちの利益や資本を守るときに、日本の若者に血と汗が必要という構造になってきています。
 国内では新自由路線でどんどんとクビを切る一方、海外へ出かけていって自分たちの利益をむさぼっています。しかし、いざとなったら自分たちを守らせるのは、権力的統制によって動くところの若者であるとなります。まさに1つのテーマになっています。

4)大企業優先の経済政策がもたらしたもの


 @ 増大する国民の貯蓄とその背景

 大企業はたくさん儲けて内部留保もしていますが、しかし、もっとお金をもっているのは日本の国民です。きょうお集まりのみなさんです。
 1993年貯蓄総額880兆円でした。97年には1,018兆円、今日1,200兆円を超えている。それはどれぐらいの金額を意味するか。
 1997年の1,018兆円という数字を1ドル135円換算すると約7兆5400億ドル、アメリカの96年GDPの7兆3000億ぐらいですから、日本の国民の個人貯蓄だけでアメリカを買い取ることができます。
 こんなにあきれた貯金をしている国はありません。みんな金持ち、金持ちのわりには顔つきが悪い。こんなに金をもっている国民はいないのです。世界で1番です。
 個人貯蓄の内訳は、預貯金60%、保険、生命保険は21.5%、その他となっています。いっておきますが、郵便局の公社化はねらわれているのは郵便貯金で、これを財界は思うようにしたいのです。
 クロネコが運ぶかどうかなんてことは、財界にとってはあまり大したことではありません。彼らがほしいのは国民の貯金で、これを思うように動かしたいのです。
 生命保険なんかに入るもんじゃない。死んでからお金をもらってどうするんです。世界中で生命保険をかけている国民はアメリカと日本だけです。高額に入ると殺されます。
 昨年の9.11のテロ、もちろん許されないことです。ただ1つわれわれによかったことは海外旅行費が安くなったことで、未だに安いのです。20万円あるとヨーロッパ10日間の旅が航空運賃、ホテル代込みで行けます。ぜひこういう機会にヨーロッパに行ってほしいのです。
 ヨーロッパの国で出会った人に「あなた貯金をもってますか」と尋ねてほしいのです。スウェーデン人もデンマーク人も、北欧の人々は1円も貯金をしていません。フランス人でも貯金ある人は10%いるかどうかです。なぜ貯金をしないのか、生活不安の基本が違うからです。

 A 広がる生活・社会保障への将来不安

 日本人に「あなたは何のために貯金をしていますか?」と聞きますと、必ず「いざというときのために」と答えます。「病気になったらたいへん」が44.0%、「老後の生活設計のため」が42.6%、「家族の健康」38.5%、これが「いざというときのために」の中身ですが、これは全部社会保障のテーマです。
 ヨーロッパの国々で医療費が無料でないのはドイツだけですが、ドイツというのは初診料400円だけで、あとは一切とりません。医療費が無料の国で貯金をする必要がないのです。老後の生活設計、年金で保障されていればいいのです。だから貯金がいらないのです。
 高等学校や大学で授業料をとっている国は日本だけですから、日本育英会という組織があって、つぶされようとしていて、労働組合が「つぶすな」と集まった。私はその講演の冒頭で「日本は育英会のない社会がいいです」といったんです。授業料をとらなければ日本育英会は必要ありません。ただ、イギリスにはあるんです。授業料を1円もとっていないけれど、貧しい子どもが生活費がないと学校に行けないから、育英会は生活費を保障しています。
 私は、若いときイタリア総同盟の幹部と会談して「イタリアの人はなぜ生命保険に入ってないんだ」と聞きました。彼は「私たちは老後保障を考えるとすれば、最終賃金の8割が年金です。だから、私たちは現役の労働者でいる間に、労働組合に結集し、たたかい、社会保障制度の後退は許さない、賃金を引き上げる。誰もの老後が幸せであるように結集・団結する。自分だけよかれと思って生命保険に入るような卑怯者はいません」といわれました。
 私たちは、いったい何をしてきたのか、いま労働組合の真価が問われています。生命保険に入らなければ不安でたまらないような国民生活というのは何か。結局のところ社会保障制度を豊かにして、安心してお金が使える社会をつくろうとしなければ、この不況から脱却できないでしょう。世界中で一番こんな膨大な貯金をもっていて、お金は使えないでいます。今度、健康保険の負担を三割にしたら、また貯金にいくでしょう。
 もっと率直にいいますと、公務労働者がもっと数を増やし、公共政策がもっと豊かになる道を私たちが選択しなければ国民は安心して暮らせません。いざというとき、公共的な力で支え、励まし、国民の生活を守りぬく。そのことがきちんとできていれば、国民は安心してお金が使え、世界第2位の経済大国で経済不況など起こりません。ここをぜひしっかりと理解して下さい。
 いま公務労働の出番です。公務労働がどれぐらいしっかりしているかということが根本になければダメです。

2.市町村合併政策の目的


1)財政危機の打開−「公務リストラ計画」と公的サービスの市場化


 政府の政策として財政危機の打開を考えています。2番目が国、地方を通じた公務リストラ計画−公的サービスの市場化というものを市町村合併を通じて一気に果たしたいと思っています。これはリストラの一番いい手法です。
 いま、あるところで14市町村を一つにするという話があります。14の市町村を一つにしていったいどれぐらい面積になるのか。愛媛県よりちょっと広くなるぐらいですが、ほんとうにいまひどいことになってきています。
 もちろん14の市町村を一つにすれば、どこの市にもあった健康課も一つになり、14分の1になるのです。これは大リストラです。こういうことはアッという間に手品のごとくやれるのが市町村合併政策です。まさに市町村合併は公務労働者、自治体労働者が全力をあげてたたかうべきテーマであることは明白です。

2)グローバリゼーションに基づく規制緩和の政策の徹底


 この前の地方自治法の改定で、条例を自由につくることができるようになり、小さな細かな自治体が次々から自主的に条例をつくっています。「私たちの村では合成洗剤使えません」という条例をもっているところがありますが、そんな条例を次から次へとやったら大企業が困ります。一般的な流通ルートというのは次々に断ち切られていく可能性があります。だから、彼らのマーケット論からこれは許せないのです。
 支配の単純化による統制の強化── 市町村合併、都道府県の廃止、道州制、これはわかりますね、たくさんあるよりは少ないほうが統制は簡単です。

3)ペイオフ制度の導入と地方自治体の財政


 いま、ペイオフ制度というものを導入しようとしています。地方自治体の財政も全部同じで、地方自治体にもペイオフ制度がかかります。ということは、自治体が何百億円とか預金してあっても、グラッとくれば1000万しか戻ってこないのです。
 全国の地方自治体がその影におびえて、信用金庫などから取引先を変えて、安心・安全な銀行に移ってきているわけです。安心・安全な金融機関というのは、郵便局などを除けば、全国で15ぐらいの銀行しかない。そうすると全国の都道府県市町村のすべての地方自治体が、14か15の銀行資本と取引ということになっていきます。そういう流れがつくられていったときにどうなるかということです。
 地方自治体がお金を借りたいという地方債をおこすときに、国が面倒みることをいまはやっていないので、「銀行からお金を借りろ」という流れになっています。銀行からすると、貸した金は不良債券化したら困るから、最低限とりはぐれのない規模の自治体にしたいのです。貸した金が回収できる規模の財政規模が望ましいのです。これはまさに銀行資本の要請でひじょうに露骨です。そうすると、どこまでがいいかということであり、重大なのは財政規模を拡大することは同時に市場を拡大することにつながります。

4)行政機構そのものを市場化へ


 なぜ、市場を安定的に拡大できるかという一番わかりやすい例として、東京都の本庁に行きますと、すでに全部の職員の机にパソコンがおいてあります。そのパソコンは全部インターネットができるようになっています。もし、2年に1回バージョンアップするということになればすさまじいマーケットでしょう。
 実は、電子政府や電子自治体というのは、どういう意味を一方でもっているのか。これまでは、学校給食は委託だ、全部株式会社にやらせる、という公的なサービスを市場化するということをやってきました。今度はそれをもっとすすめて、行政機構そのものがマーケットの対象になる。こういう段階にきているのだということです。
 こうしたことを、プログラム化していくときに何が必要か。それはなるべく大規模な財政のほうがいいに決まっています。そうなるとバブル運営になるのです。
 たとえば、ここに500億円の会計予算をもっている自治体があったとして、だいたい人口10万人ちょっとぐらいでしょう。一般会計は500億だけども、それに金を貸し付けます。500億の会計にかかわらず、毎年、毎年700億とか800億とかいう財政規模をもたせておいて、その規模において全体を市場化するのです。
 介護保険をみてください。あれは福祉と言いますが、同時に営利企業の場でしょう。つまり、全部がマーケットにしょうとして、膨らめば膨らむほど出口のところでまっている企業へどんどんお金が入っていきます。ニチイ学館という会社は、全国介護保険の全体の8割をにぎることを目標にしています。文字通りのガリバーになってきています。
 自治体の金融システムの転換のため、なんとしても市町村合併は欠かせません。これが財界の熱烈な要望で、公共事業だけみてたらダメです。全体をみなければいけません。


3.地方自治体の目的と市町村、都道府県の役割


1)地方自治の本旨


 地方自治の本旨ということをもう一度考えて、住民自治にもとづいて、団体自治の力を発揮することが重要です。一方、住民の責任において動かすという地方自治体の原則をきちんともう一度確立し、「国から独立した団体である」という団体原則において行動するような地方自治の確立をしなければなりません。
 都道府県の意義と役割ということで、地方自治法第2条第5項に「都道府県は市町村を包括する広域の地方公共団体として、第2項の事務で広域にわたるもの、市町村に関する連絡調整に関するもの及びその規模または性質において、一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものを処理するものとする」と書いてあります。
 ここで確認しておきますが、都道府県行政の役割は「包括的な自治体として仕事をすること」で、この包括的な自治体として仕事をする、ということはどういうなのか。
 それは市町村を包括する広域の地方公共団体、つまり、市町村との関係において「包括する」という概念があることをちゃんとつかんでおく必要があります。ただし命令的な立場ではなく、都道府県と市町村は対等であります。

2)市町村の意義と役割


 とくに重要なのは、市町村の性格と義務として憲法第2条・第3項で「市町村は基礎的な地方公共団体として……」という規定があります。わが国の地方制度においては基礎的な地方自治体は市町村であり、ここに第一次決定権「市町村優先の原則」というものがあります。つまり、住民の生活に密着している市町村において、住民生活にかかわることについて、第一次決定権をもっているという考え方です。これは明確にしなければなりません。いいかえると都道府県が市町村に口を出して命令的なことを行うことは、地方自治法の根本からして許されないことです。
 いまの日本の地方自治法の考え方の上では、市町村と都道府県は対等平等であるばかりではなく、基礎的な地方公共団体は市町村にあります。まず優先の原則を明確にして、市町村が成り立っていくために何をすべきかを考えるのが都道府県の仕事だ、という考え方が基礎になっています。
 つまり、市町村では手が届くべきではない広域にわたるもの、それから市町村に関する連絡調整に関するものということですが、この連絡調整というのは命令でもなく、単なる連絡調整です。そうしたものと合わせて一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものを処理します。
 市町村の役割のところで、市町村の性格と事務のところに「但し、第5項に規定する事務のうち、その規模またはその性質において、一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものについては当該市町村の規模より能力のいいところで処理することができる」──いま日本の地方自治の考え方は、市町村というのは基本的にはなんでもできるのです。法律で禁じられているから裁判所をもったりすることはできませんが、それ以外はなんでもできます。
 私がこの前に呼ばれた北海道の真狩村というところは人口2,500人です。ここに村立の高等学校があります。人口2,500人の村が高等学校をもっています。真狩村立農業高等学校があり、そのとなりにある留寿都村も人口2,500人ですが、ここも村立農業高等学校があります。
 真狩村の村長は「自分たちは21世紀も22世紀も真狩は農業に立脚して村を経営する。大企業をつれてきて栄えようとなど思ったこともない。であるならば人を育てるほかはない。自分たちで育てよう。だから農業高校をもっている」というふうに説明をされました。
 どうですか?ちょっと京都のほうが元気ないんじゃないですか。人口2,500人ですよ、打って出ているのです。なんでもできるのです。なんでもできるんですが、一般の市町村が処理するのに適当でないと考えられる問題は、無理をしなくてもいいと書いてあるのです。

3)都道府県の意義と役割


 じゃあ、その事務は誰がするのかといえば、都道府県がすると書いてあります。それが憲法第2条・第5項です。
 つまり、市町村に第一次的決定権があり、その市町村が困難だとみるや、「わかった、オレたちが引き受けるからこの分は大丈夫だよ。あなたのところの住民の生活のレベルを引き下げるようなことはしないから、もっと財政に力があるような自治体に住んでいる住民と同じレベルで府が引き受けてサービスするから大丈夫だ」というのが都道府県の役割と地方自治法はいっているのです。
 いろんな状況のもとで、財政力が困難であったりする自治体をいじめろなんて書いていません。では、現実はどうなっていますか?あれこれ、あれこれ口出しをして、「ここを切れ」「あれを切れ」と平気でいっています。ほんとうは憲法はもちろんのこと、地方自治法の原則から度はずれておかしいのです。こうしたことをやめるということです。
 都道府県というのは市町村との関係でいろんなことができます。これまでの革新都道府県政をふりかえってみればすぐにわかります。そうしたことを考えて、私たちはいったいどういうふうなことを考えるのか。都道府県の役割というのをもう一度考えてみてください。

  @ 基礎自治体に対する中央権力の介入を阻止

 第一番目が地方自治法の考え方から都道府県の位置というのは、市町村が国からさまざまな圧力をかけられたりしたら、まず国のほうを向いて「おまえ何をやっているんだ。やめなさい」ということです。都道府県は地方自治体であり、国の出先機関ではありません。 まず第一義的には市町村の力をバックにして、国に「おまえ何をやっているんだ」ということを明確に語らなければなりません。それが地方自治法の語っている都道府県の役割であることは明確です。ところがいま市町村合併ではその逆をやっているのです。

  A 広域行政に対する中央権力の反民主的支配の阻止

 第二番目が広域行政に対する中央権力の反民主的支配を阻止することです。広域行政というのは、道路とかなんかでいわば府道、そうしたものを計画決定したりするときに何よりも、府民住民の立場にたって、その現場の意見にもとづいてきちんと決めていくことです。今度、長野のダムをやめたのはそのいい例です。現場はどう考えているかということが基本だということです。そういうことを明確にしていくということです。その立場にたって、広域行政を決定していきます。これも中央権力との関係において、明確でなければならないことです。
 繰り返していいますが、京都府は自治体です。地方公共団体で国から独立した自由な団体です。国のいいなりになる理由はまったくありません。そういう点では私たちは明確でなければならないのです。

  B 広域的地方自治の自治的・民主的確立

 第三番目が広域的地方自治の自治的・民主的確立ということをやらなければならないことです。つまり京都府政そのものの民主的な確立です。いまのことを貫いていく政策的能力をもたなければならないのです。ところでそうした本来の役割を果たさなければならないところに、今日きているにも関わらず、都道府県制度そのものも手を入れてしまえということになっています。

4.市町村合併の後で


1)都道府県の再編と道州制


 図1は、都道府県の合併で、次に道州制を実現しようということです。
 図2−1ということで一つの形として都道府県を合併させて、道州制を制定します。つまり都道府県を合併させていくつかの合併した都道府県をさらに併せたうえで、道州制をひくという考え方です。
 もう一つは、図2−2のように、政令都市というものを特別市として独立をさせて、都道府県と同じ権限を与えた形をとって道州制へ網をかぶせることです。
 図3は、都道府県の廃止と道州制の制定です。これは外側の太い網線が道州制で、その中に指定都市、各市、この考え方の中には町村は存在していません。
 図4では、道州制による都道府県、もう一つは都道府県を残すべしという意見があり、道州制をとって都道府県を道州の出先機関と位置づけて、権力的業務だけを残して市町村住民を支配する。いま出されている絵は大体こういうことです。
いますすめられている市町村合併は3,200ほどある市町村を1,000にする。将来300にする。こういう絵になっています。300というのは衆議院の小選挙区制の数です。つまりそれぞれの自治体に1人ずつ代議士を配るという、こういう国家構造が浮かび上がってきます。
 300という案は誰がいいだしたのか。1995年に日本の改造計画という本を書いた小沢一郎さんの著書に初めて出てきたものです。この改造計画案によれば、300にして道州制という方向をめざしていることは明らかです。そういう意味ではたいへん統制的なプログラムになっていることは明白です。

2)都道府県の再編の方法−都道府県の合併


 道州制に関連していいますと、アメリカというのは日本の人口の2倍ですが、50州あります。日本はいま47都道府県約50あります。実は、アメリカと平均人口が同じ道州制をひこうとしたら、2つずつの都道府県を合併してしまえばいいのです。そうすると大体平均人口がアメリカと同じ道州制度があらわれることになります。だから25ぐらいの州をつくる。そもそも北海道と東京都はそのまま道州制の場合には生き残りますから、それ以外のところを二つくっつけると、大体平均人口がアメリカと同じ道州制がひかれるということです。
 ところが実際には、いま出されている道州制案は一番少ないもので9、一番多いもので13です。これからの数は何を意味するのか。明治憲法の下における軍の司令管区です。沖縄管区、九州管区というふうにひかれておった司令管区数そのものです。つまり、道州制というものがどういうふうな国家をめざして、いまあらわれようとしているのかということを、そうした観点からも私たちはみておかなければなりません。

5.森内閣の行政改革大綱と公務員制度改革


 2002年12月1日、森内閣のときに閣議決定された国の行政改革大綱(資料GH)の書き抜きです。国家公務員・地方公務員制度の抜本的改革ということが決定されたとおりにいますすんでいます。

1)「官官」・「官民」間の人材交流の促進


 第一番目は、公務員の信賞必罰、上司のことをすべてきく公務員づくりです。これは明確に有事体制づくりに直結していると考えてください。
 とくに「官官」もすごいですが、「官官」間、「官民」間の人材交流の促進ということは、改めて国から直接どんどん地方自治体に公務員が出てくることが可能だし、その逆も可能だというふうなことを示しています。
 「官民」間はもっとすごくて、現在、日立なら日立の社員である労働者がそのまま京都府の職員になれるということです。京都市の職員になれるという意味です。兼業禁止を全部取り払うという意味ですし、また逆もあるということです。いわば公務員がそのまま民間職員の身分になれるということです。そういう体制をつくってしまえということです。
 いろんな側面がありますが、簡単にいいますと、ある自治体が財政危機に陥ったら、銀行の銀行員が直接その自治体の財政部長などとなり、直接乗り込んできて財政を支配できるようになるということです。

2)法令予算の企画立案と執行の分離


 これは人事業務、組織における企画立案と執行の分離をすすめることです。簡単に言うと人事を握っているもの、法律をつくるもの、予算を握っているもの、そういうものだけが公務員であればいいということで、執行事務については独立行政法人化をすすめ、公務員でなければ取り扱わない事務以外は外部委託等を活用するということです。
 保育園、学校給食、清掃、その他、福祉事務所も含めてでありますが、いわゆる外部委託できるものは全部外部委託し、つまり公務員ではなくするのです。
 郵便局の公社化は、実は国家公務員におけるその典型例です。だからどうしてもこれを成功させる。「国家公務員の身分をはずす」という例をどうしてもつくりたい。あれは巨大な組織ですから、いっぺんに公務員であることをやめれば先鞭にできる。もしこれをやると京都府の職員の例でいいますと、たぶんを公務員で残るのは10分の1以下で、9割以上は公務員でなくなります。
 これまでは、自治体の政策としてこの部分を外部委託というふうにやってきましたが、そうではなく、今度は公務員制度そのものにする。公的サービスがどうなるかは、みなさん方が考えればすぐにわかります。

6.有事法制案が示す都道府県の軍事機関化


 有事法制、有事体制について講演をあちこちでやっており、そのときの講義要項をかかげておきました。有事体制は地方自治をどのように変質させるかという内容です。(資料)
 簡単にいえば、対策本部長というのは内閣総理大臣のことです。内閣総理大臣が対策本部長の権限を有し、第14条のなかで「対策本部長は…」とあり、「当該地方公共団体その他の執行機関……指示ができる」と書いてあります。対策本部長として内閣総理大臣が指示を出すことができる。そうして対策本部長のいうことをきかなかったらどうなるかというと、内閣総理大臣が代執行ができると書いてあります。
 対策本部長と名乗っている内閣総理大臣は、都道府県の長に対して軍事的なプログラムの指示を出すことができます。それに従わなかった地方自治体の長がいたら、今度は内閣総理大臣そのものが命令をして、代執行、つまり国が直接乗り込んできて、その事務が行うことができるという規定があります。つまり、知事および市町村長の権限はまったくこの瞬間にゼロになります。
 消防法関係、麻薬使用者関係、墓地埋葬等に関する法律の適用除外、医療法の適用除外、建築基準法の特例、……と出てきますが、これは何かというと全部地方自治体の権限下におかれている事務です。
 軍事的なプログラムのために全部これを規制外にして、地方自治体の事務の権限を全部とりあげます。たとえば公園に軍事施設をつくるとなれば公園法をひっかかります。その権限を全部白紙にし、勝手に軍事施設をつくったり、すべての地方自治体の権限を一気に取り除くことが可能なのです。しかも、そうしたことに「反対だ」ということで座り込んだりする住民がいたら、だれが対処しますか。府の職員(地方自治体の職員)が対処するのです。これは地方自治体の軍事機関化を意味します。これが今度の有事法制の重大な特徴の1つです。


7.憲法と地方自治法に基づく民主的都道府県への道


 今日の都道府県政というものが中央権力の立場にたって仕事をするのか、市町村住民とともに歩む立場にたった仕事をするのかという、分水嶺にいま立っているということを明確に示しています。そういう認識をもつのかどうか、今日の都道府県政を考えるうえで決定的だということです。
 いま、都道府県の自治体労働者の役割は何か、ということが鋭く問われており、その流れの中でいったいわれわれはどのようにたたかっていくのか、が求められています。

1)地方自治の本旨をふまえ、市町村の役割を実現し、広域的行政の民主化を


 第一番目に地方自治の本旨をふまえて、第二番目に基礎的自治体である市町村の役割を実現するために府政は何をしなければならないのか。ここがつめられなければなりません。
 市町村が本来の役割を果たすために府は何をするのか。市町村が基礎的地方公共団体として、住民のためにいきいきと奉仕するという本来の役割を実現するために府は何をするのか。それを徹底して研究し、政策化する必要があります。
 第三番目に、広域的行政を民主化するために、これは広域的行政を市町村のあるべき姿ときちんとセットし、広域的行政はどうあるべきか。京都府なら京都府というものはどうあるべき論をきちんとやっていくことです。
 私はこの前、奥丹後によばれて行ってきました。反物を二つ買ったんですが、京都の西陣で糸から染めて織ったという、ちょっと信じがたいすごい品物です。青年会議所の会長さんは、奥丹後のちりめんの機屋さんの若旦那で、どちらかいえば市町村合併の旗振りの先頭に立っているはずの人です。その若旦那から「反物を買っていただきありがとうございました。実はこころの中で市町村合併について深い疑問を抱いています。しかし、こういう田舎にいると立場とか、どうとかばかりが先行する」という苦しみ、悩みが書かれていました。
 奥丹後にあるちりめん産業をどう考えるのか。ただ昔からあるからいいじゃないか、というバカな議論ではなくて、21世紀も22世紀もこの京都にとって、ほんとうに必要なのかどうかを真剣にみんなで考えるということです。
 つまり、この京都府全部をどういう自治体・地域として発展させていくのか。全体のバランスでものを考え、すべての地域の発展を考えたプログラムをしっかりつくっていくことです。ただし、それを実現するために簡単にゆらがないこと。ちょっと景気が悪くなって、売れなくなったから「やめよう」なんていうバカなことは考えないことです。そういう意味では、私たちはもう少し歴史的なスパンを長く知っておき、広域行政の民主化ということを考えてほしいのです。
 公共事業論も同じです。京都には森林がいくらでもあります。すばらしい人工林もあります。しかし、こういう建物をつくるときになんで全部鉄筋コンクリートでつくるのか、不思議でしょうがありません。田舎もそうです。田舎の小学校全部鉄筋でつくってきました。公民館を建てるのも鉄筋、なんで木でつくらないのですか。木はあるけどやる気がないのです。公共事業政策というものをもっと歴史的にどうするのかという観点からきちんと考えるのです。
 清水寺は何年から建っていますか。何百年建っているでしょう。鉄筋コンクリートの建物は、どんなに長くても60年で壊す。東京の新宿副都心の超高層ビルは、全部50年寿命です。なんでそんなことがわからないのですか。もちろん長持ちさせようと思ったら国産の材でなければダメです。できるだけそこの風土に近い森林のものを切るのがいいに決まっています。はっきりしています。
 公共事業政策を考えるときに、私たちはそういう角度で考えてきたのかどうか。そうして、考えたときに初めて京都府なら京都府全体のバランスある発展というのがみえてきます。そういうふうにわれわれの政策理論を磨いていくことが求められています。

2)国いいなりでなく、住民・市町村とともに堂々と歩む


 第四番目が中央権力の手先であることをやめ、住民と市町村とともに歩むことです。このことを私は繰り返し語っておきたいと思います。
 私も革新市政の下で東京都の日野市役所の職員でいたときは、もう何回と東京都の職員とケンカをやったかわかりません。私をみるなり相手の口調はたいへん柔らかになるのですが、いっていることは押しつけです。革新市政が一つになったときにすさまじかった。あらゆることをします。美濃部都政が倒れたあとは、ほんとうにひどかった。信じがたいことをいわれました。ところが、それは都職労の組合員なんです。その都職労が、私を講師によんで学習会をやって、「実は先生、私にもいろいろ立場がありまして…」とわけのわからないことをいう。そういう問題ではないのです。
 私たちがどういう立場に立つかということが、こんなに明らかになっている時代はありません。そのうえで、私たちの自治研運動、労働運動もどちらに向かっていくのか。このことを堂々ということです。堂々と生きる、堂々と働くということが強く求められています。
 その点で、労働組合の団結が重要です。やはり真面目に働くものを孤立させてならないのです。いまほんとうに労働運動が大事で、それは府民の幸せにとっていま大切なのです。労働組合運動の力を強め、労働組合における団結の力を強めることが重要です。
 そして、労働組合自身が深い確信がもてる政策能力と政治能力をもつことが求められています。 (●見出し、編集、文責は、事務局。)
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