効率化・採算性優先の医療制度に不安

洛東病院があったらとつくづく感じる

公的医療機関のあり方、再検討の時

 私の義母は亡くなる前は、認知症のためにグループホームに入所していました。 ところが、昨年6月、高熱と血液検査の異常があり、主治医の紹介状をもらって府立医大に搬送し救急診療の結果、即入院となりました。担当の医師から「うまくいって3カ月ぐらいの余命。府立医大は高度先進医療を行う患者が順番を待っているので、ここで病状を見極めたら転院してほしい」といわれ、「専門医の診察と緊急措置で一命をとりとめただけでもよかった」と、10日余り後、紹介してもらった民間病院に移りました。自宅から片道1時間余りかかりましたが、郡部に比べれば恵まれているかもしれません。

 転院後、夫が介護休暇をとり休日などに私が交替して、6カ月近くもの間ずっと個室で付き添ったこともあって、じっくり親子として向き合えたことや、病院の方から転院してくれと言われなかったことを心から感謝しています。
 母は入院後またたく間に体力が回復して、夜中に病室から出て腰椎を圧迫骨折してしまいましたが、心配した大量内出血もなく、本人は痛みがなくなると骨を折ったことさえ忘れてしまいました。

 秋の深まりとともにベッドから起きあがれなくなりましたが、強い生命力で最期までがんばり続け、大雪の朝、息をひきとりました。 2年余りの間を振り返ると、大腿部骨折による入院を皮切りに、老健施設やグループホームへの入所、そして不治の病による入院と、目まぐるしい日々でした。グループホーム入所以降は毎月20万円ほどの出費が続き、貯金で乗り切りました。 つくづく感じたことは、認知症のお年寄りが他の病気やけがで入院するとき、身近に適切な病院が少なく、医療従事者も患者の家族も大変だということです。効率化、採算性優先の医療制度では対応できません。

 廃止された府立洛東病院には、回復期リハビリをはじめ、府立医大と異なる機能の公立病院としての役割があったと思います。「勝ち組、負け組社会」など許せない、国の悪政から府が一人ひとりを守れるようになることを望みます。

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