被爆60周年・核不拡散条約(NPT)再検討会議

核兵器廃止へニューヨーク行動

日本から1000人、京都府職労から青年2人が参加

 5月2日からニューヨーク・国連本部で核不拡散条約(NPT)再検討会議が開催されています。この機会に、核兵器廃絶の行動を前進させようと4月29日からニューヨーク行動が世界各国から代表が参加して行われました。日本からは500万筆の署名と日本原水協の804人の代表をはじめ約1000人がニューヨークへ。府職労から参加した2人に行動をレポートしていただきました。

 多彩なパホーマンスで4万人のパレード

 日本ではメーデーが行われている5月1日、アメリカ・ニューヨークでは核兵器の廃絶を求める4万人のパレードと集会がおこなわれました。
 ニューヨークは前日が雨でしたが、この日は晴れ。パレードの出発は国連本部前。アメリカをはじめ各国の団体や市民が、それぞれのパフォーマンスで集結。ペットボトルやドラム缶をリズミカルに鳴らし踊るメンバー、チェイニー米副大統領に操られるブッシュを模したパフォーマンス。
 日本の代表は浴衣やハッピ、折鶴のレイなどを身につけた女性、色とりどりの絵手紙の横断幕などもって参加。京都自治労連代表団は核兵器の廃絶ほ訴える寄せ書き横断幕とハッピ姿でパレードに合流。
 「音楽やそれぞれが思いおもいのスタイルで自由に主張している姿は日本では見られないので、印象に残った」「パレードしている最中にどんどんニューヨーク市民が参加してくる」という府職労代表の青年部書記長。
 パレードの先頭は、日本代表団。2020年までに核兵器の全面廃絶を実現する「2020ビジョン運動」を提唱する秋葉忠利広島市長、伊藤一長長崎市長の姿が見えます。1000人を超す日本の代表団には、ニューヨーク市民も感嘆の声をあげていました。
 また、ジャーナリストたちは、日本原水協から500万筆を超える署名が国連に提出されたことに驚いていたことを後で聞きました。
 パレードは約3キロ、2時間かけてセントラルパークまで、道路いっぱいに広がり署名を訴えたり、核兵器廃絶を訴えたりしながらゆっくりすすみました。
 
 「二度と同じ苦しみ味わわせたくない」被爆者の訴えに涙
 
 パレードの終点セントラルパークでは、世界の平和運動が交流。広島の被爆者、坪井直さんは「原爆の最大の被害は、たとえ生き残っても人間破壊がつづくこと」と証言。長崎の被爆者、下平作江さんの「死ぬことでしか苦しみから逃れられない被爆者がいることを知ってください。どこの国のどんな人であっても、私たちのような苦しみを味わわせてはならない。長崎を最後の被爆地にしてください」(平和新聞より)との訴えには、涙をぬぐう参加者もいました。
 
 アメリカの妨害を非核保有国が反撃
 
 国連本部での核不拡散条約(NTP)再検討会議は5月2日から始まる予定でした。ところが、イランや北朝鮮の「核不拡散」問題を焦点にしたいアメリカと核兵器廃絶への進行状況の検討、核兵器廃絶の約束を守るよう求める非核保有国との対立で、検討会議の議題が決まらない事態になりました。
 国際的世論や平和運動の後押しもあり、5月11日に核兵器廃絶を含むすべての議題が議論されることで合意、本格的議論が開始されることになりました。
 
 精一杯の「英語力」で署名活動
 
 日本からニューヨーク平和行動に参加したのは、日本原水協の代表804人をはじめ1000人を超えました。京都からは、原水協と宗教者など37人が参加。京都自治労連からは府職労の2人をはじめ9人。うち6人が青年でした。
 原水協の代表団は、ニューヨーク行動に向け、街頭や駅頭、学校、ホワイトハウス前などで核兵器廃絶の署名行動や被爆体験を語る訪問活動を行いました。
 京都自治労連代表団は、たえず一緒に行動。ニューヨークについた翌日の4月29日は、地下鉄グランドセントラル駅前で署名行動。「アボリシュ・ナウ・ニュークリア・ウェポン」「ノー・モア・ヒロシマ、ナガサキ」の横断幕と「新撰組的」ハッピで署名を訴えました。
 「プリーズ・シグネイチャー」ほんとうに片言の英語で署名の訴え。それでも英語で書かれた書名用紙や横断幕を見て署名してくれるニューヨーク市民がたくさんいました。「時には話しかけられたかもしれないが、さっぱり英語がわからない」(書記長)ので会話にはなりませんでしたが。
 「驚いたことは、署名する人もしない人も自己主張すること。署名しない理由をはっきり言う」とは、西垣京都自治労連副委員長。日本のように冷たく通り過ぎることはありません。
 ニューヨーク行動では、海外で平和活動を行っている青年や、アメリカの労働組合とも交流することができました。「とにかく片言の英語を繰り返すだけでしたが、心は通じるものでたくさんの海外の人と交流できていい経験が出来ました」という青年部長。

 帰国して、代表団は報告活動に奮闘。被爆60周年を迎える今年の原水禁世界大会成功の先頭に立っています。 
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