いますぐ核兵器をなくす国際協議を

参加者が語る 原水爆禁止世界大会・長崎

 原水爆禁止2007年世界大会・長崎は、8月7〜9日、長崎市内で開かれました。7日の開会総会には海外からの代表団合わせて6、800人が参加。京都から269人、府職労から11名が参加しました。この代表団派遣のために、各支部では折り鶴やカンパ活動、夏の平和のとりくみにとりくんできました。
 今年の世界大会の特徴は、安倍首相の九条改憲、久間前防衛大臣の原爆投下「しょうがない」発言など、核兵器廃絶を求める世界の圧倒的多数の声に反する動きの中での開催となったことです。
 閉会総会では、「2010年のNPT再検討会議にむけ、核兵器廃絶の世論と行動を大きくひろげ」、国連と諸国政府とりわけ核保有国政府に「核兵器全面禁止条約の協議開始を求め」ること、「国連総会、NPT再検討会議準備委員会を節目に」現在とりくんでいる「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名を大きくひろげることなどを盛り込んだ「長崎からのよびかけ」を採択しました。唯一の被爆国日本の政府には、そのイニシアチブを発揮することが求められています。


大きな苦しみが今も続く
被爆者の証言に衝撃



 僕が長崎に行こうと思ったきっかけは「もう被爆者の方から直接体験を聞ける最後の世代です」との一言を聞いたからだ。今回の旅で、テレビ等では決して味わえないジワジワっと後に尾を引く衝撃を受けた。
 話を聞いた被爆者の方(82歳の女性)は、ガスで運動神経をやられたそうだ。とても明るく元気な方で、勝手に抱いていた被爆者のイメージとは全然違い驚いた。しかし、その明るさの裏にはやはり様々な思いがあり、いつ発症するかわからない被爆の影響にとても苦しめられていることがよくわかった。80万人いたら80万人分の症状があり、そして80万人の大きな苦しみが今も続いている、との話に衝撃を受けた。「戦争はいけません。原爆もいけません。本当に戦争はいけません」と少し潤んだような遠くを見る目で言われていたことが印象に残っている。


真剣に運動にとりくんで
いる若者の姿に驚き


 一番驚いたのは、多くの若い世代の人たちが自分たちの問題として、原水禁や戦争等の問題に真剣に取り組み、行動していることでした。テレビや新聞のニュースを見ても、どこか遠い国の出来事のようで、「自分には関係ない」と思うことがほとんどだったので、自分の問題意識のなさを痛感しました。
 分科会のテーマでもあった「継承から発信へ」。戦争体験者、被爆者から直接話を聞くことができる最後の世代として、自分たちがやらなければならないことは何なのか。同世代の人たちと議論する中で、何となく見つけることができました。言葉では簡単ですが、みんな様々な想いがあり、継承することはできてもなかなか「発信」ができないという悩みをもっていることを知ることができ、今後とりくみをしていく中でとても参考になるものでした。


戦争の爪あとがしっかり
残っている被爆者の実情


 今年で5回目の参加となる原水爆禁止世界大会です。今年は興味のあった原爆症認定集団訴訟に関するパネルディスカッションに参加しました。長崎原告団団長と弁護士、それらを支えた地域ネットワークの事務局を呼んで、講演を聴き、討論しました。原爆症認定の基準がマニュアル化され、事務的に認定の有無を判断し、認定訴訟では控訴を繰り返す行政に対する批判も少なからず出て、多少肩身が狭かったので、自分も気をつけようとおもいます。
 その中でも一番重かったのは認定訴訟において国側の時間稼ぎのようなやり方もあって、認定訴訟の原告である被爆者の方は認定されないまま次々と亡くなっているという現状です。とても、唯一の被爆国として世界に発言できる国とは思えず、非常にショックでした。まだ、ここにも戦争の爪痕がしっかりと残っているのを実感できました。



青年部インデックスへ