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2016年02月09日

全生園を後世に残そう
宮崎駿さんが講演

ハンセン病の歴史忘れないで

 世界ハンセン病デー(1月最終日曜日、今年は31日)にちなみ、「ハンセン病の歴史を語る人類遺産世界会議」(笹川記念財団主催)が1月28日から3日間、都内で開かれた。患者や元患者らへの差別撤廃と尊厳の回復をめざすもので、初日には映画監督の宮崎駿さんが講演。元患者らとの交流、支援について語り、鼎(てい)談にも参加した。要旨を紹介する。

▲ブリキの金券に衝撃宮崎駿氏

 全生園(国立ハンセン病療養所多摩全生園)は近所なのでよく散歩に行くが、初めて資料館を訪れ、ブリキの金券(寮内でのみ通用する特殊通貨)などを実際に目にしたときの衝撃を忘れない。敷地内の納骨堂には4000人の元入所者が眠っているといわれる。手を合わせて祈るとき、『(国により強制隔離されたという)恨みを超えて、空や森へとけてください』と願う。元患者さんたちの過酷な体験を思うと甘い考えなのかもしれないが……。

『もののけ姫』という作品は、「サムライが登場しない時代劇を…」という着想でつくった。室町時代の絵巻物をみるとハンセン病らしき病者の姿など描かれているので、映画にも登場させた。主要人物らのコミュニティと離れた場所に住んでいる包帯姿の人々というふうに描いた。当時は「業病」(悪行のむくいでかかるとされた難病)といわれており、差別はあったと思ったから。映画は全生園の友人たちに見てもらったが、感想を聞くのは怖かった。幸い喜んでもらえてよかった。

 入所者の高齢化などでかつての宿舎などが壊されつつある。国が跡地を更地にして公園などにしてしまう懸念もあったので、山吹舎といわれた男性独身寮の復元や、地域の保育園の誘致を提案した。どちらも実現し、車でそこを通りかかると花さき保育園から園児の遊ぶ声を聞くことができるのは嬉しい。

 最後の入所者が亡くなったあとも、巨大な記念碑のように全生園を後世に残す必要があると思う。

「女の人を近づけないで」平沢保治氏(国立ハンセン病資料館運営委員)

 私が入所したのは14歳。親しくしていたナースに裸にされて断種手術を受けさせられた経験がある。手術後、「一週間は女の人を近づけないでほしい」と要求した。結婚して60年になるが血がつながる子どもはいない。養子はおり、家族の絆の大切さを実感している。監督のような人が社会に一人でも増えることがハンセン病への差別をなくし、元患者が故郷で肉親に会えるという未来につながるだろう。

「人権の森」として全生園保存を佐川修氏(国立ハンセン病資料館運営委員)

 ハンセン病風化防止のために園の緑化活動に重きを置いていた私たちと違い、宮崎氏は、山吹舎(男性独身寮)の復元や花さき保育園誘致を提案してくれた。誘致活動の際の、厚労省交渉にも同席してもらった。
 今後は全生園全体を「人権の森」として残していく運動を展開していきたい。。 

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