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2016年04月04日

「つながろう福島」と3万5千人
脱原発めざし東京で集会

暮らしの中の被害の実態もみつめて

 政府の進める原発再稼働ストップなどを呼び掛ける集会「原発のない未来へ!」が3月26日に都内で開かれ、3万5000人(主催者発表)が集まった。主催は「さようなら原発1000万人アクション」など4団体。首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフさんは「福島原発事故から5年。必ず原発を止め、避難者や福島で大変な思いをしている方々の問題をいち早く解決していく決意を新たにしよう」と訴えた。

 ルポライターの鎌田慧さんは、関西電力高浜原発3、4号機の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定に触れ「この裁判官の勇気の一部に、私たちの運動があった。私たちは絶対に彼(裁判官)を孤立させず、左遷させない運動を始めましょう」

 集会では、全国で原発訴訟を行う被害者や市民団体の訴え、沖縄辺野古基地建設反対の座り込みを続ける市民団体からの連帯あいさつ、チェルノブイリ原発事故被害者の報告などが行われた。集会終了後、渋谷や新宿をデモ行進した。

▲福島を忘れるな

 デモに参加した福島県いわき市の医療職場で働く男性(38)は「(原発事故を)忘れないでほしい。オリンピックが開催されるなかで原発事故がなかったことにされるのではないか」と危機感を募らせる。事故後に2人目の子どもを授かったが、福島で産み育ててよいのか真剣に悩んだという。「自分の子どもにそのような思いを抱かなければいけないこと自体が被害です」と指摘。避難者数など数字で現れるものだけでなく、暮らしの中にある被害の実態にも目を向けてほしいと訴えた。

 男性は国や東電に損害賠償を求める市民訴訟に参加している。「金銭面だけでなく、生活を続ける上でどれだけの被害があるのかを裁判で明らかにし、まだ声を上げられない人びとの被害回復にもつなげたい」。

〈スピーチから〉被害者の声聞いて ジャンナ・フィロメンコさん

 ベラルーシから来ました。1986年のチェルノブイリ原発事故のとき、私には幼い子どもたちがいました。事故のあと外に出すことができず、春や夏を嫌いになってしまいました。

 旧ソ連政府は被害の実態を隠しました。しかし生存をかけて立ち上がった人びとはデモや集会を行い、事故後5年目でようやく移住することができました。しかし親族や友人がバラバラにされ、故郷を奪われることは非常につらい体験でした。

 私は自分自身が被害者・移住者なので、福島原発事故の被害者の気持ちがよく分かります。被害者に話す機会を与え、その声を聞き権利を守らなければなりません。被害者のことを忘れてはいけません。

 世界中の原発で重大事故が起こる可能性があります。原発をやめて他のエネルギーを探すために努力をしなければなりません。((連合通信) 

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