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2016年05月30日

住宅問題は課題残しつつ前進
〈東日本大震災から5年〉岩手県大船渡市・陸前高田市

元東北総局長 川島左右喜

 東日本大震災の地震と大津波に襲われた岩手県の沿岸部。当初は、釜石市や山田町などの10市町村で1万5000人を超える住民が仮設住宅に入居していた。その日からまる5年が過ぎ、課題を残しつつも住宅問題は前進し始めた。三陸沿岸は豊かな漁業地としても知られる。大船渡市の住まいと生業(なりわい)復興の現状を見た。(写真・不屈丸に乗る新沼さん)

▼地元の協力で住宅再建

 三陸鉄道南リアス線の下り始発駅「盛(さかり)駅」がある大船渡市。全1万4814世帯のうち、半壊以上が4分の1を超えた。現在では、年齢や資金を理由に新たに住宅を建てるのが困難だった人たちも、なんとかなりそうだ。災害公営住宅に入居を希望していた801世帯が、今年10月までには全員、移れることになったのだ。

 津波の危険度が高く、災害危険区域に指定された地域の被災者366世帯も、新たな土地での暮らしが可能になる。地区ごとに集団移転し、戸建て住宅を建てる市事業が進んでいるためだ。28地区のうち、24地区の造成地ができ、既に住宅建設が進行中である。

 大船渡市で住宅再建が前進したのは、市長や行政が率先したことが大きい。さらに半島部分を除き、大船渡湾から山裾にかけ緩やかな坂の土地が続くという地形の利もある。湾内に限れば、切り立ったがけの上にしか高台がない地域よりは恵まれているのだ。

 けせん労連の佐藤力也議長は、そうした要因に加えて、地域住民による協力を挙げる。「被災者が協議会をつくって話し合ってきた。造成地を受け入れる(地権者らの)地元住民が、戸建てを建てるという被災者や、災害公営住宅に住むしかないという被災者たちの、それぞれの思いに応えて協力してくれた」

▼課題も残る

 もちろん課題はある。住宅は再建したが、二重にローンを支払わざるを得ない人々が多くいる。災害公営住宅には、高齢の夫婦をはじめ年金が頼りの世帯が入居する。今後、福祉や介護をどうするかという問題は避けて通れなくなる。

 大船渡市職労の新沼優書記長は、「被災者が抱える課題は今後、より個別化され広がる。どう対応していくかを考えると、やはり、これまでの5年間をきちんと話し合い、進む方向を煮詰めることが求められている」と指摘する。

▼震災に負けてられない

 大船渡市は豊かな三陸漁場を抱えた漁業基地だが、大震災で壊滅的な打撃を受けた。大船渡湾に広がる養殖カキの筏(いかだ)も小型漁船も、全て流された。

 市漁業協同組合の理事で、カキ養殖を生業にする新沼治さん(70)もその一人。小船3隻と筏を失ったが、市漁協が音頭を取り、水産庁などの補助が本格化した「漁の協働化」事業で、カキ養殖も回復しつつある。小型船を「不屈丸」と命名したのは、「震災に負けてられない」――その強い思いからだった。

 筏も17台にまで回復した。今年5月には、津波で流された下船渡漁港近くの自宅跡地から、旧大船渡線沿いの小高い場所に住まいを建て替えた。生産量は、「(むき身換算で)量も額も震災前の70~80%ぐらい」という新沼さん。しかし、不屈丸に抱く気持ちを胸に、2~3年後に水揚げ時を迎えるカキ種吊るし作業を見つめている。

岩手県陸前高田市住宅再建で地域の温かさ実感

 岩手県陸前高田市米崎町脇の沢は、広田半島の付け根に位置する漁業中心の地区だ。ここも15メートル前後の津波に襲われ、主要道路38号線を挟んで46戸あった民家の大部分がさらわれて、20人が亡くなった。5年が過ぎ、国の防災集団移転促進事業(防集事業)で海の見える丘に脇の沢団地ができた。既に仮設住宅から移り住む被災者もいる。分譲と賃貸をあわせ、戸建て住宅が70戸。来年に入居が始まる2棟の災害公営住宅を含め130世帯が住むことになる。 

▼地権者を訪ね続けて

「よく、ここまでの(規模の)団地になったもんだ」(写真・戸建て住宅が建つ脇の沢団地)

 脇の沢地区の60歳代の男性は、丘を見て感慨深げに話す。男性が所有する畑も丘にあった。「家を建てたい被災者が5人集まれば住宅を再建できる」と知り、その畑をいち早く市に売り、団地に提供すると決めた。今は自分も団地に住む予定だ。丘はほとんどが杉林。団地にするには全地権者の合意とあわせ、誰の土地か分からない杉林の登記者を確定する必要があった。

 住宅を建てたい被災者も同じ〃壁〃にぶつかった。

 仮設住宅に住む市議の大坪涼子さんは、地権者から「オラの杉林切っていいよ」と声を掛けられた。すぐに協議会を立ち上げ市と面談し、地権者一覧表を見せてもらった。そこには50数人の名前があり、中には登記者が何代も前に亡くなっている所有地も多い。地権者全員の賛同が得られるか不安だったが、そこは浜の女。「難しい交渉は市に任せて、『自分たちが住む場は、自分たちで動いて決めようね』と話し合い、地権者を訪ね続けた」という。

 地権者の側もこの熱意に応えた。地区の寄り合いが持たれ、「ウチも協力するから、アンタらもなぁ」と合意を広げてくれた。市の職員も「不明所有者の確定」を進めた。そうして3年後の昨春、ようやく杉林の伐採が始まった。大坪さんは「地域の温かい結びつき」をしみじみとかみしめている。

▼後押しする市の支援策

 住宅再建資金で70世帯を後押ししたのが、市独自の支援補助制度だ。国は上限300万円の生活再建支援金を出すが、それではとても足りない。県と市が住宅再建支援金としてそれぞれ100万円を上積みした。

 さらに、住宅ローン利子相当分を上限250万円まで補助。水道工事でも上限200万円、道路工事は上限300万円、また浄化槽の設置やバリアフリー化、そして、柱材などに県産材や気仙地方(大船渡市、住田町を含む)の木材を使用した場合に、それぞれ補助が付いた。

 こうした市の支援策が、脇の沢団地に入居する被災者だけでなく、防集事業で住宅再建中の28団地355世帯(昨年11月)も励ましているのは間違いない。

▼悩む「事業」の違い

 一方、市役所やJR駅、大型スーパーなどがあった市の旧中心部の2カ所で、土地区画整理事業が進んでいる。併せて245ヘクタールもの広大な土地をかさ上げし、そこに被災者の住宅や商店、県立病院、市民会館などを建てる計画である。

 この巨大な街の再生は、脇の沢など28団地を対象にした防集事業ではなく、土地区画整理事業が適用される。いずれも国が地域を定め自治体に移管する事業だが、防集事業は災害、区画整理事業は都市の整備が対象という違いがある。そのため、同じ津波被害に遭いながら、復興・復旧の手法が異なるという問題が出ている。防集事業では、被災者の跡地は市が買い取る。ところが区画整理事業だと、市独自の支援策の一部は適用されるが、被災者の跡地買い取りはない。しかも、広大な土地をかさ上げした後に整備される道路や公園など公共施設の面積に応じて被災者の跡地が減らされる。土地区画整理事業につき物の「減歩」だ。宅地を別の土地に移す「換地」でも、この減歩がつきまとう。

 現在、災害公営住宅に入居している女性は、「(例えていえば)川の向こうでは市が跡地を買い取るのに、橋を渡ると、跡地が減らされるのだからねえ」と話す。

 陸前高田市は津波と地震で街が崩壊した。そこからの再建なのに、津波を対象にしていない区画整理事業を適用して被災者を追い詰める。このやり方が被災地の復興になじむとは、とても思えない。(連合通信) 

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