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2016年05月16日

巨大防潮堤が人と海を遮断
〈東日本大震災から5年〉気仙沼市・石巻市

元東北総局長 川島左右喜

 3・11東日本大震災から5年が過ぎた。この間、宮城県では「スピード感ある復旧・復興」(村井嘉浩知事)をめざしてきた。確かに、辺り一面を覆っていたがれきは片付き、集落区域も「ここに民家があった」とは思えないほど整地されている。だが、海辺にそびえる巨大な防潮堤は、海の様子を全く見えなくする。高潮や百数十年に一度の津波に備えるためだと言うが、人が住む陸地を逆に囲む要塞にも見える。(写真、)巨大防潮堤が人と海を遮断/気仙沼市・石巻市〈写真〉高さ10メートルの防潮提。もう海は見えない(石巻市) )

▲高さは15メートル

 巨大な防潮堤が、気仙沼市本吉町の小泉海岸に造られている。高さは5階建てビルにほぼ匹敵する14・7メートル。底辺幅で90メートルある。

 震災前、幅が約150メートルあった小泉海水浴場の砂浜は地盤沈下で狭くなった。巨大防潮堤は、その砂浜や松林、水田、畑、疎水、沼地までも埋め立てて造る計画だ。

 海辺に注ぐ川がある。その周辺や疎水には小魚が泳ぎ、天然ウナギやカニ、ハゼが棲んでいた。豊かな資源を含むこの小泉海岸一帯は、今でも「貴重な動植物の資源区域」(環境省)である。

 家屋を津波で流失した住民は山を切り開いた高台に住居を移し、平野部は水田、畑しかない。そういう地域に、小泉海岸だけでも長さ約1000メートルの巨大防潮堤を造る。川の改修を含めた総事業費約360億円を投入しながら、守るべき地域資産は「約40億円」(東京大学公共政策大学院の試算)と低い。

▲ムダな「負の遺産」

 住民説明会では計画の見直しを強く要望する発言が出た。にもかかわらず、県土木部は「本計画を早く進めてほしいとのご意見を多くいただいた」とし、話し合いを打ち切り建設に踏み切ったのだ。

 確かに、「防潮堤は必要だ」という住民もいる。その一人は「この小泉は稲に花が付く頃冷たいヤマセ(北東の風)が吹く。防潮堤はその風を遮ってくれる」という理由だ。しかし、その風を遮る役割を果たす松林も防潮堤の陸側の公園に植えられる。

 別の住民は、巨大な防潮堤を「負の遺産」と指摘し、こう話す。「あの防潮堤で何を守るのかね。巨額の税金を投入して海と人を遮断する……。この現場をみんなに見てほしい」

▲海の見えない雄勝湾に

 石巻市雄勝町はカキやホタテ、銀鮭の養殖、それに雄勝の硯(すずり)で知られる。遠藤弘行さん(62)は硯職人の一人。津波で全壊した自宅敷地に工房と直売店を建て、河北町(石巻市)で見つけた中古住宅から通っている。

 工房は雄勝湾の水面から約7メートルの高さ。青い水辺がよく見えるが、そのそばの国道と湾を仕切る予定の幅4メートルほどの堤防は高さ9・7メートルになる予定だ。遠藤さんは、国道沿いに立つ電柱の地面から3分の2ほどの位置を指し、「あの高さの防潮堤になるので、海は全く見えなくなる」という。

 湾の反対岸では高台住宅の工事(整地)が進んでいる。そこに自宅を建てる住民は多くて約40世帯。震災前に住んでいた約610世帯の15分の1以下だ。

 遠藤さんは防潮堤について、「(海辺近くの)高台住宅の辺りは必要かも」と話す。だが、海辺近くに住んでいた住民のほとんどが他の地に引っ越すことを考えると「9・7メートルの防潮堤が本当に必要なのだろうか」と顔を曇らせる。

 県のある幹部は、大地震後「ピンチをチャンスに」と言った。工事で潤う大手ゼネコンのチャンスにだけはしたくない。

宮城県女川町食材は移動販売車が頼り/元東北総局長 川島左右喜

 昨年3月にJR石巻線が全線開通し、4年ぶりに電車が走った女川駅前にテナント方式の店舗が30店ほど軒を並べている。八百屋風の店が1軒。他は女川を訪れる観光客目当ての店が多い。駅から続く坂を上り切ると、町民陸上競技場の跡地に復興公営住宅がある。8棟に200世帯が入居する。

▲切り詰める生活費

「80人は一人暮らしだ。俺もそうだ」という男性(70代)も、ここに住んでいる。収入は年金が頼りで政令月収(公営住宅入居を申し込む際に申請する月収額)はゼロ。そのため「家賃は3000円ぐらい」で済んでいる。ただし、3000円なのは入居後5年目まで町が家賃を半額にしてくれているからだ。それで「今のところ助かっている」。(写真、宮城県女川町/食材は移動販売車が頼り/元東北総局長 川島左右喜〈写真〉手前の平坦地ではかさ上げ工事が進む。奥の山には今後、高台団地が造られる予定だ(2月1日、女川町)
)

 でも、駐車場代2000円と共益費500円は固定支出。電気代も「切り詰めている」が、生活に欠かせない。併せて「月々7600円前後かな。8000円は超さないようにしている」という。

 野菜、魚、加工食品などはどうやって買っているのか。「ここのみんなは駅前の店まで行かない。年寄りに坂はキツイ。品も薄いので、石巻から来る移動販売車が頼りだ。品ぞろえもまあまあだしな」と話す。

▲町は一変しても…

 約16メートルの高台にある地域医療センターから町を見渡すと、高台団地の敷地が山を削り造成されている。女川駅周辺を中心にした道路や防潮堤、商業ゾーンの土地もかさ上げされ、町は「平成30年度」(町役場)にガラリと変わる予定である。

 沿岸や半島の漁港に近い後背地の13カ所でも高台住宅の工事が進む。震災前、浜には日常の買い物ができる店が小規模ながらあった。しかし、10数世帯をひとかたまりとする高台住宅が点在することになれば、店の経営はとても無理。町が2年後に一変したとしても、高台に住む高齢者は、移動販売車頼みの生活を余儀なくされる。(元東北総局長 川島左右喜) (連合通信) 

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