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2015年 5月21日

 3万5000人の県民大集会
そして後戻りできない闘いへ

沖縄人をなめてはいけない

 5月15日が沖縄にとって特別な日であることを知らない人は、全国にはまだまだ多いそうだ。米国から日本に「施政権」が返還され、沖縄県となったのが1972年5月15日である。沖縄では記念日的な言い方を避けるようになってきた。琉球新報は「日本復帰から43年」、沖縄タイムスは「本土復帰から43年」と表現した。

 今年のこの日、安倍政権は集団的自衛権行使を可能とする安保法制を国会に提出した。「基地の島」を強いる日本政府に抗議し続けている沖縄の人々にとってまた一つ、耐えがたい思いを刻む日になった。
 戦後70年の年に、沖縄では怒涛(どとう)の日々が続く。70年前の沖縄戦の証言を若い世代につなぐことは重要な課題だが、戦後史もまた、深い検証と継承が必要となっている。

▼5・15の意味

 一昨年から4月28日の重みが増した。1952年のサンフランシスコ講和条約発効の日であり、沖縄などが日本から切り離された日。沖縄では「屈辱の日」とされてきた。

 ところが、一昨年、安倍政権は「主権回復の日」として天皇夫妻にも出席を求めて祝賀式典を開催したのである。沖縄からの激しい抗議の声に政府は「祝賀ではない」とごまかした。終了間際に「万歳」の叫びがあり、安倍首相らも三唱した。退席しかけた天皇夫妻は一瞬表情が凍り付いたという。対米従属と排外主義ナショナリズムの並存、そして基地沖縄に対する構造的差別という、戦後日本の実態を象徴する場面だった。今年のこの日、日米首脳会談(日本時間29日)で「辺野古新基地建設推進」が再確認され、菅官房長官は今後も節目に主権回復の日として式典を開催していく考えを示した。

 そして今年の5・15。この数日間、まさに激動の日々だった。14日に安保法制を閣議決定、15日上程。沖縄平和行進がスタート。翁長雄志知事はこの日の会見で「沖縄の心」を問われ、「私たちが本土に近づこうとしても、寄せ付けないのではないかと感じるところがあった」と述べた。日本復帰について「望んだ形にはなっていない」と指摘した。

▼自信にあふれた知事

 17日は那覇で3万5000人以上が結集した「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が開催された。あいさつの最後に立った翁長知事は「日本の政治の堕落」という言葉を2回使って政権を厳しく批判。最後に右手を振り上げ叫ぶように、「うちなーんちゅ うしぇーてぇーないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」と沖縄の言葉で締めくくった。「ないびらんどー」とは丁寧語である。「沖縄人を馬鹿にするな、なめるな」と言ったのである。

 辺野古埋め立てについて前知事が行った承認を撤回させる取り組みの中で、知事の慎重な対応に内外の不満が高まっていたが、この集会の知事は自信に満ちあふれていた。沖縄で再び示された民意を背に東京で記者会見を行い、訪米要請に向かう。

 17日にはハワイでオスプレイが墜落した。辺野古現地の緊迫も続く。県民の団結と国内外の支援を力にして、辺野古断念の実現へ、沖縄の後戻りできない闘いがこれからも続く。(ジャーナリスト 米倉外昭) (連合通信) 

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