戦争の実際を知ってほしい

アニメ映画「ガラスのうさぎ」完成

監督 四分一 節子さん語る

 映画「ガラスのうさぎ」は、戦争、東京大空襲の体験を通して主人公の敏子が、戦争の悲惨さや恐ろしさを知り、敗戦後の混乱と厳しい生活を生き抜いていく、平和への願いを渇望する感動の作品です。アニメ監督の四分の一節子さんが映画への思いを連合通信に語っていくます。
 
 1945年(昭和二20年)3月10日の東京大空襲の時、母と私たち子どもは千葉の農家の離れに疎開していました。あの夜、母は東京の空が赤くなったのを見ていたそうです。東京に残してきたほかの家族が次の日になっても来ないので、もうだめだろうとあきらめかけたと言います。
 私は母から戦争のことをよく聞きます。母もよく覚えていて、いろいろ話してくれます。たとえば、戦争が終わって母がまずしたことは、明かりがもれないように電灯にかぶせていた黒い布を外したことでした。「戦争に負けたことは気にならなかったの」と聞くと、「とにかく戦争が終わった」という解放感の方がまさっていたと言います。
 私は広島原爆、沖縄戦、満蒙開拓義勇団などを題材にした作品を手掛けてきましたが、資料などを調べるたびに「こんなにひどいことだったのか」と改めて感じます。
 戦後60年間、日本が戦争をしないですんだのは、憲法九条があったからだと思っています。
 今後、護憲か改憲かを選択しなければならなくなりそうですが、私たち大人は子どもたちのことを考えて選択しなければなりません。若い人たちには、60年前の戦争がどういうものだったのか、そして人々はどんな思いで日本国憲法を受け入れたのかを、当時を体験された方々からぜひ聞いてほしいですね。
 高木敏子さんが20数年前に原作を発表した当時、高木さんと同じような戦争体験をされた方が多かったと思いますが、いまは親子とも戦争体験がない家庭が多い。その意味でもアニメ映画「ガラスのうさぎ」は祖父母、親、子どもの3代でぜひ見ていただいて、話し合ってほしいと思います。
 (2005年4月に完成、5月から各地で上映されています。京都の上映は未定です)

 しぶいち・せつこ 1944年生まれ。沖縄戦を描いたアニメ「白旗の少女 琉子」や広島原爆のアニメ「真っ黒なお弁当箱」などの制作に参加、「賢治のトランク」で初の長編アニメ監督に。
目次へ