雨宮処凛の世直し随想

 

死を語る意味
  自殺未遂経験のある人と話すとほっとする。

 なんて書くとぎょっとされるかもしれないが、私自身、未遂者だからだ。

 といっても、リストカットや薬の過剰摂取くらいでそれほど本格的ではない。今まで、首つり未遂(カーテンレールが折れた)、飛び込み未遂(本当に電車に飛び込んで全身複雑骨折)など、様々な自殺未遂者に会ってきた。みんな生きるのが下手で、不器用で、口先だけでうまく世の中を渡っていけないタイプ。「市場原理主義の社会を、人を蹴落とし、時にだまして軽やかに渡っていけない」人たちだ。そんな人たちは、心の底から信頼できる。

 最近も、未遂経験のある30代女性とお酒を飲み、語り合った。なんと彼女は都内某所のビルから飛び降り自殺を試み、そのことが新聞記事にもなったのだという。そんなことを笑い飛ばしながら話せるのも、「未遂」という同じ経験を持つ「同志」だからだ。

 私も彼女も、そして今まで出会ってきた自殺未遂者たちも、普段はそんな過去なんかなかったように生きている。だけど、もう少しこんな話が普通にできるようになったら、この社会の風通しは少し良くなるように思うのだ。一度は死のうと決めた人がそのことをネタに笑っていれば、いじめられて自殺を考えている子どもがふと我に返るかもしれない。その上、未遂者は「ホントに死にたい気持ちは5分以上続かないからとにかく5分耐える」などのノウハウを持っている。 「死」を隠蔽する社会は時にもろい。だから私は、ちょっと嫌がられても死について語り、書き続けたい。〈連合通信〉