雨宮処凛の世直し随想

 

「被災物」が語るもの
 2月末、某メディアの取材で被災地を巡った。

 行ったのは石巻や陸前高田。津波に襲われた場所はすべてのがれきが撤去され、かさ上げのための工事が大々的に行われていた。そこに町があり、人々の営みがあったことがうまく想像できないような光景。工事現場にはゴーンゴーンという重機の音が響き渡り、まるでピラミッドのような盛り土が並んでいた。

 そんな取材旅行では、気仙沼のリアス・アーク美術館を訪れた。ここでは「東日本大震災の記録と津波の災害史」という展示が常設されているのだ。

 足を一歩踏み入れて、圧倒された。津波が襲った直後の町の写真。どこまでも続くがれきの山。そして津波によって流された生活用品。携帯電話や炊飯器、ぬいぐるみ、ゲーム機などなど。そんなものたちが泥だらけのまま展示されている。そしてそんなものたちの隣には、つぶやきのような言葉が添えられている。 「津波っつうの、みな持ってってしまうべぇ、んだがら何も残んねえのっさ…。基礎しかねえし、どこが誰の家だがさっぱり分がんねんだでば。そんでも、玄関だの、風呂場だののタイルあるでしょ。あいづで分かんだね。俺もさぁ、そんで分かったのよ。手のひらくらいの欠片でも、家だがらねぇ。残ったのそれだけだでば」

 美術館では「がれき」という言葉を使わず、「被災物」と表現している。それらは破壊され、奪われた大切な家であり家財であり人生の記憶だからだ。

 気仙沼を訪れることがあったら、ぜひ立ち寄ってほしい場所だ。〈連合通信〉