「浅川兄弟資料館を訪ねて」

落語作家・笑工房代表 小林康二

 4月初旬、山梨県北杜市高根町の「浅川伯教・巧兄弟資料館」を訪ねた。

 兄・伯教(のりたか)は1913年日本植民地下のソウルに渡り、35年間李朝白磁の芸術的価値を世に知らしめる活動を続け、弟・巧も翌年植林技術者として同地に赴任し、はげ山の緑化に従事する傍ら、兄と共に朝鮮民芸品の芸術的価値を世に高め、「朝鮮民族美術館」開設に尽力した。資料館には二人の業績が詳しく紹介され、特に巧の生き方には心を打たれた。

 第二次安倍政権の下、日韓関係は冷え切っている。その背景は従軍慰安婦、強制連行、関東大震災時の朝鮮人虐殺や竹島領有権問題だけではない。朝鮮併合(1910年)時に日本政府は「皇民化」政策(朝鮮人を天皇の民とする)を押し付け、「朝鮮教育令」を発し教育勅語や日本語を強制して、「創氏改名」(日本人の名前に変えさせる)を迫り、関東大震災では「朝鮮人が井戸に毒物を投げ入れた」の流言飛語のもとに、6000人の朝鮮人を虐殺する等、その人道的抑圧に対する積怨がある。

 これに対し、安倍政権は「全て日韓条約(1965年)の6億ドル賠償で解決済み」の態度を取り、靖国参拝を強行しながら、ハングル語の挨拶で関係改善が進むと考える程度の「歴史認識」だ。

 被害者の痛みを我が痛みとして異郷に同化して命を燃焼させた浅川巧の死を、戦後文部大臣を務めた安倍能成は「人類の損失」(1934年刊、旧制中学教科書)と嘆いた。

 歴史の歯車を逆転させないため、ぜひ多くの人に「資料館」を訪ねてほしい。